「君には覚悟があるのか?」

「せっちゃんが

あたしをきらってたの知ってたけど

あたしは

せっちゃんのこと

きらいじゃないわ」

岩館真理子の『まるでシャボン』より

 

 

演劇を私が芸術だと見なす理由は、そのポエジー(詩情)にある。

その柔和さにある。

その美しさにある。

ただ、そのようにどんな白く美しい綿に包まれていても、その芯は強く硬い。そこには本質がある。

 

今や懐かしくなってしまった映画館で、いつか鑑賞した『ある画家の数奇な運命(Never look away)』に出てきた台詞「すべての美しいものは本質である」を思い出す。

だから、芸術家と呼ばれる人達は「本物から目を背けてはいけない(Never look away)」。

 

一方で、その芸術に伴う「美」は、極論なくても一向に構わない。

それは言ってしまえばただの包装紙に過ぎない。中身のプレゼントは変わらない。

それでも、本質はやはり普通に生きていたら直視しづらいから、気付きにくいから、

芸術家がそれに気づいて、「美」を施している。

 

ただ思うに、その「美」よりさらに美しい行為、言ってしまえば世界で最も美しい行為は、芸術家が自身の眼でもって、この世で誰にも振り向かれないような何かに気付き、それを「美」に変えていくその過程にこそあるのではないか。

この役に立たなさ。無駄さ。それがまだこの世界で許されていること。

まだ人々の心に宿る余地があること。

そこに救いがある。そこに輝きがある。

 

出来上がった作品は勿論美しい。台詞も美しい。可愛らしく、女性的な柔らかさに溢れている。

ただ、私は何よりもこの作家たちの在り方に美しさを感じる。

私が岩館真理子や大島弓子を美しいと思うのは、彼女たちが自分の血肉を断って、その血しぶきでもって作品を描いているからだ。


「見た目」はあくまで「見た目」でしかない。

そこに脈々と流れる本質を見極められるか、見極めようと思うか、見極めたいのか。

それが、芸術に携わるものの覚悟なのではないか。

芸術家、女優、俳優、演出家、作家。それらに纏わるイメージは、クリシェに過ぎない。そこに抵抗し、人々の声に抗って、生きるのか、君は。

そう問いただされた時に、咄嗟に答えた。

「私だけが知っていればそれでいい」

 

追記。

毎週月曜日に楽しみにしているSUGARさんの今週の星読み運勢から。
「詩」について。演劇はécriture de plateau「舞台上で書いていく」行為。

 

昭和を代表する批評家で思想家であった以前に、ひとりの詩人でもあった吉本隆明は、『詩とはなにか』という本の中で、次のように述べていました。

 

 

「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとうのことを、かくという行為で口に出すことである」

 

 

つまり、吉本にとって詩とは考えうる限り最も的確な「告発」であり、決して今日「ポエム」などと揶揄されるような曖昧で自己陶酔的な世迷い事の類いではなかった訳です。

 

 今週の運勢 てんびん座 9/23~10/23生まれ - isuta(イスタ)