なんだか、上手くいかない。
何度も渡ったロワール川を横断する橋からの眺めは、やはりヨーロッパのそれだ。
フランスで一番汚い川だと言われているロワール川でさえ、晴れた日は広い空の色を映して、綺麗になる。
空は高い。秋の空はどこだって高いのだ、きっと。
フランスの木々の背は高く、空に近い方から赤く染まっていく。
そういうことをひとつひとつ、忘れないように、この目に焼き付けておこうと思うと、その瞬間には、「でもいつか忘れるんだ」と自分の情の薄さを思い出し、途端につまらなく思える。自分が、だ。
そういう思いを、一歩あゆみを進めて美しいものを見る度に感じるのだから凝りないものだ、と思う。
ひとつ、しっかりと書いておかなければと思って、パソコンに向かっている。
「役」を演じることに関してだ。
私は、以前のブログでもその前にも散々「演劇は人間の中心をみせるもの」だと言ってきた。
だけど、それは決してその人それぞれが持つ個性を前面に出せ、ということではない。
むしろ、私の考える「人間の中心をみせる」には、個性だとか、その人の癖だとか言われるものを出来るだけ捨象していく作業が必要な気がする。
それは、そこに書かれている言葉に自らをひたすらに献身していく必要があるから。
そのためには所謂「自我」は邪魔になる。
何故なら、言葉によって展開していく世界には、私以外の他者の存在があるからだ。そこにいる他者を探していく作業が、演劇なのだとも言えるかもしれない。
ここしばらくずっと考えている、演劇は言葉の芸術か、という命題に関して。
今のところは、そうだと思う。思わざる負えない。悔しいけど。
でも演劇は、言葉を通して、言葉を超えたもっと遠いところにアクセスできるものなのだと思う。その遠いところっていうのは、その作品を書いた作者だったり、その作家に作品を書くに至らせた人々や物事だったり、その台詞を今まで言ってきた俳優たちへの存在だったり、その言葉のもっている果てしない空間だったり、その言葉によって触れられる人間の心の中の秘密だったり。
夏にある友人と会ったときに、彼が最近発酵にハマっているのだ、という話をしてくれた。
その時に彼が言っていた言葉が印象的だ。
「僕たちのお腹のなかには、莫大な数の細菌がいて、その細菌によって気分が決まったりするらしい。そう思うと、もう本当に自分は一人では生きていないのだな、と思う」
(これ、私が覚えている限りなんだけど、違う解釈してたらごめんね笑)
それが、すごい演劇っぽいよね、という話をした。
自分は自分だけで生きているんじゃないんだ、という思いは救いではないだろうか。
役を演じる、ということは、自分以外の色々なものに触れていくということで、そしてそのものたちとひとつになる感覚を持つということだ、と思う。いや、正確に言えば、ひとつにはなれない。でも、ひとつになる、という錯覚でもいい。そう私が感じること。ここに唯一、孤独から逃れる術があるのではないかと思う。
(この孤独に関しては、書きたい気もするし、無理な気もする。ただ、今は勇気がないので止めておきたい。)
芸術がなんなのかは、そんなの一生かかっても分からないのだろうけど、
もし演劇が芸術なのだとしたら、
それは人間を孤独の水たまりから掬うからなのだと思う。
私は、役ではない。
それは、私は絶対に他者にはなれないことと同じことだ。
ただ、そういう役を演じている俳優の存在が感動的になるのは、もしかしたら、私は他者になれるかもしれない、ということを体現しているときだ。
それで、そういう演技っていうのは、もう空間も時間も超えていくと思う。
この夏に読んだ本、光岡英稔氏と内田樹氏の対談をまとめた本「荒天の武学」にこんなことが書いてあった。
「実は武に時間は存在しません。武の本質は時の外にあります。だからこそ機と位と間が重要になってきます。機をだいたいは「タイミング」と訳してしまいますが、そうじゃない。タイミングだと時間の内にあります。機が時の外にあるとは、どういうことかと言えば、「それ以外にない」ということです」
先述した、演技が「空間も時間も超えていく」というのは、ここにあるとなんとなく思っている。
それは具体的には冒頭に述べた「言葉を通じて色々なものに触れていく」ということでもある。
それからもう一つは、人間的な時間とか、人間的な論理がもう通じない次元にいくこと。
演技をするという行為にはそれが出来るのではないかと思う。
ちょっと、大げさかなあ。
でも、そうすると孤独をもう笑えなくなるかも、しれないじゃない。
他者なんて絶対に理解できない、ていう人間の論理は超えていくかも、しれないじゃない。
まあ、こんなたいそうなことを書いても、技術が伴っていなければ、そんなこと不可能なことも分かっているので、今からきちんと歌の練習をします笑
ナントにきて三年目。ロワール川の写真を、初めて撮ってみた。