演劇は必要なのか?という問いを考えてみる。

ベルギーに戻ってあっという間に三週間経ってしまった。

その間に学校が始まり、アパート契約し、引っ越しをした。

 

授業が始まって早々、ここは最高だな、と思うことがあった。

というのは、あるひとつのことを一週間まるまる使って考える時間を与えられたからだ。

そのことというのは、

 

Le théâtre est-il nécessaire ?

演劇は必要なのか?

 

という問い。

これに関するいくつかの質問事項に、ひとりがただひたすらに話して、それを他の人が聴く。

 

こんなシンプルな質問に対して、時間をとって考える。

自分の考えを話す。

ひたすらに話していることを、長時間、十数人の人間からひたすらに傾聴される。

こういうことって、普通に生活しているとないのではないか。

そんなこと考えている間に、台詞のひとつやふたつ覚えろ、とも言われそうで、なんとなく分からなくもないけど、でも芸術をやるってこういうことなのではないか、とも思う。曖昧だろうか。

 

この授業を担当している演出家であるイザベルが、

「他者を聞くというのは難しい。聞くというのは、相手が喋る場所を与えること。切らないこと。待つこと。」と言っていた。

なので、時に、ひとりの沈黙を、十数人の沈黙が待つということもあった。

急かすことなく、ただひたすらに、待つ。

話者の生み出す沈黙であり、出てくる言葉を待つ人の生み出す沈黙。

そういう沈黙の美しさというのは、人工的なものなのだけど、絶対に自然の木々には作り出せない美しさなのだと、今思い返して思う。

だから、人間は人間でしかないけど、やっぱり私は人が好きだなあ。

 

 

演劇は、だから必要だと思う。

人間という存在が、長く慌ただしい日常の中で、ただ流れてしまわないように、そこにすうっと手を差し伸べて掬ってあげる。

そして、それは人のいのちをも救う。

それを信じているので、私は演劇が必要だと思う。