ヴェネチアビエンナーレ2021→ヴェネチアビエンナーレ2022

物事が重大すぎて何が起こっているか把握できない様、を表す四字熟語はないものかなと先ほどからパソコンを覗いています。そういうことを上手く言おうとしてるけど、なかなか言えない。最近は未熟さばかりを感じます。


何が言いたいかというと、

先日の記事で書いたヴェネチアビエンナーレのコンペティション部門(詳細はこちら→ヴェネチアビエンナーレ2021 - KONDO MIZUKI'S BLOG)、なんと一位の賞を頂いてしまいました、ということをご報告したかったのです。

 

ヴェネチアに発つ前日、家で一人荷物を詰めている間に訳も分からず無性に悲しくなって、youtubeで500milesが流れてきたのをきっかけにホームシック気味であることに気付く。「何故私は日本に帰らないのだろう」と。翌日はブリュッセルの空港でも泣(何で私は日本じゃなくてヴェネチアに行くのだろう、と)。嵐の中でブリュッセルを出て、イタリアに着いたら太陽!美食!と思っていたのに、私たちを迎えたヴェネチアでは稀に見る大嵐が吹き荒れていた。なんてことだ、と悲しく思っていたら、翌日、晴れたヴェネチアのあまりの美しさにため息と感嘆の声を上げて、昨日までの涙と悲しみはどこにいったことやら。4日に現地入りして、9日間ずっと稽古をしていたけれども、この街のもつ独特な空気にずっと魅了されて、でも不思議と地に足ついた感じは持ちつつ、幸せな時間を過ごした。13日に90分だけの舞台稽古があって、14日に審査員の前で30分の小作品を演じて、14日の夜にみんなでお疲れ様のピザを食べていたら、ビエンナーレ制作から演出家のOlmoに電話がある。

 

なんと、なんと。優勝してしまったのだ。

当初300にも上る応募の中から最終選考である今回の発表6つにまで残って、ヴェネチアに来て発表できるだけでも嬉しかったのに、今回の優勝で、なんと私たちの作品が来年度のビエンナーレ正式プログラムに編成されることになったのだ。

来年は、この作品を膨らませて長編にしての公演になる。

公演直前の6月まるまる一か月はなんと現地の劇場を使って稽古をするらしい。

今年からディレクターになったイタリア人演出家ユニットricci/forteが、彼らが指揮する中で初めて選んだ演出家とその作品。そこには確かな理由と意志がある。

 

Olmoが彼らに言われたそうだ。

「完成度という意味において、長編にしていく作品作りの過程を考えた時にもう既にある程度出来上がっているものは他にもあった。その中でも君の作品を選んだのは、新しい演劇性を提案しているからだ」

真面目に作品作りをしていった。こうでもないああでもない、これで本当にいいのか、と前日まで思考錯誤をしながら変えていくような稽古をしてきた。それがきちんと評価してもらえたんだという喜び。それは自分たちが評価されたというよりも、こういう演劇性があってもいいんだ、と既にある程度経験や力をもつ人たちからも賛同してもらえた喜び、といった方が正しいかもしれない。

これからのブリュッセルでの稽古期間は、ricci/forteの二人組もたまにブリュッセルまで稽古を見に来てくれるのだとか。

 

私にとって決して楽ではなかった稽古期間。

本番三日前は、一人で泣きながら美しいヴェネティアの街を夜を歩いて、

母親に電話して「もうこのまま上手くいかずに、終わればいい」と泣き言を言っていた。それがたった数日で、一年後の未来をぐわっと開いていってしまう力を持っているのだ。後日母親と改めて電話で「どんなに苦しくても、とりあえず続けてみることのいい例だね」と笑っていた。

 

ちなみに、ricci/forteはOlmoにこうも言ったらしい。

「来年は、世界中からくる観客の前で演じてもらうよ」

 

 

世界中って。

世界中って、どういうことなんだろう…!

 

 

意味が分かっていながらも、想像も出来ないその事実に、胸がいっぱいな今。

ずっと「大きな舞台で演じたい」と漠然と願っていたことが叶ってしまうらしい来年。

 

演出家とドラマトゥルク、そして共演者の二人の力があって、ようやく私はこの舞台に立たせてもらっているという感がある。

そして、応援してくれる家族・恩師・友人がいることにただひたすら感謝の気持ちで溢れています。

 

来年もまたあの水の都に行けるなんて。

もう少し、少しずつ強くなってあの美しい地に降り立てるよう、また一年頑張ります。

 

 

 

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