ここ最近の授業ではシェイクスピアの作品からモノローグを選んでひたすら稽古をしている。
私は「リチャード三世」の中の第五幕第三場のリチャード三世の台詞を選択。
それを基本的には壁を使ったり、マットレスの山に身体を投げ出したりしながら練習している。
壁を手で押したときの反動をエネルギーにして台詞を言うのも、実はこちらの力が抜けていないと出来ない。
あんなに柔らかいマットレスなのに、身体を投げ出すのは、身体を緊張させていては出来ない。少しでも力が入っていれば、見ていればすぐにわかる。(びっくりするほど)
決して簡単な作業ではないけれど、やはり動きが生み出す台詞というのは美しい。そこから生まれる感情は色彩が豊かで水のように滑らかに、時に激しく移り変わる。
これの発表は2月の頭なのでその時までの変化はまた別に書こうと思う。
今日は、ひとつ覚悟をもって言葉にしようと思ったことを書く。
長い間抱えてきたけれども、公にして言えなかったことだ。
何で今このタイミングなのかというと、授業中のあるエクササイズ中に、私を長年傷つけてきたあることを思い出したからだ。
どんなエクササイズかというと、今この授業を担当している女優のエミリー・マケストが毎回私たちにさせるシェ―キングというある瞑想である。
エミリー曰く、シェ―キングはオショーという人物が考えた瞑想方法で、ヨーロッパ人
にとって座った状態での瞑想が効果的でないことに気づいたオショーが、立ったまま身体を激しく上下させていく、という方法を編み出したのだという。(諸説あるのだけど、ここではエミリーの言っていたことを紹介します)
実際のシェ―キングはこの動画の最初のような感じ。
シェ―キングはそれこそ身体を脱力させて行っていく必要があるのだけど、これがまた難しい。やってみると、自分の内臓はまったくもって固まっているのだなということに気づいたりとか、声を出そうとして、声帯まわりが緊張していようものなら、(便利なことに)本人が最初にその強張りを感じる。
それで、その声についてなのだけど、私は今回シェ―キングをしてみてやっと、自分の喉の筋肉を解き放つということに成功したのではないかと思う。
ずっと演劇をやってきたのにだ。
ずっと、ずっとやってきたのだ。
喉は私の一番の問題だった。
日本にいるとき、早稲田大学で演劇サークルに所属していた。
とにかく上手くなりたくて、「一番厳しいところに入れば上手くなれる」と思った私が選んだサークルというのは、端的に言うと非常に私とは相性が合わなかった。
しかし、当時の私はまだ未熟で、もうその世界しかないと思っていたので、どんなに嫌な思いをしようと、一生懸命にそのサークルの創る作品やそこに所属する人間関係にしがみついていたのだ。
新人訓練と呼ばれる数か月間に及ぶ稽古内容は今思えば酷いもので、俳優に本当に必要なものも分からない人たちに、分からないままに、独特の封建的な雰囲気に飲み込まれて演劇の訓練を受けたものだ。
その当時に言われた言葉の数々は、27歳の今もたまに思い出しては泣いている。18歳の夏から、27歳の今まで、ずっとだ。
更に恐ろしいのは、暫くの間は、私もそんなサークルの方針が正しいと思っていたところだ。それで、自分の後輩たちにも似たような経験を強いたように思う。本当に申し訳ないことをした。
サークルに入った年の9月に新人公演があったのだが、それに向けた稽古期間で私は喉を完璧に壊してしまったのだ。
罵詈雑言ともいえる指導の声に怯え、緊張しきった身体で絞りに絞った喉は、挙句の果てにある日、血まで出してしまった。
それでもなお酷使され続けた私の喉は、公演直前には使い物にならず、チューニングのあってない格好悪いガラガラ音しか出さなくなった。
そこで病院に駆け込んだ私は、「本当はこれは出したくない」と言う医者にステロイド剤を二錠だけもらって公演に臨んだ。筋肉増強剤だ。
その効果の程をみれば、出すのを渋る医者のことも理解できる。効きすぎるのだ。
シェ―キングをしていて、緊張がほぐれた喉から出た声を聴いたときに思った。
あ、これが本当の声だ、と。
そして、
あの時の自分は自分の喉になんて酷いことをしてきたのだろう、と。
身体の奥に眠っていた痛みと感情がどばーと流れ出てきた。
舞台俳優にとって必要な大きな声。
出そうとすると変に力が入ってしまうのだが
緊張した身体から出た声ほど聞き苦しいものはない。
セリフはきちんと聞こえないし、きっと緊張した身体、つまり苦しいところでやっている俳優の身体というのは、お客さんにダイレクトに伝わってしまう。だから、お客さんも苦しい。
それが舞台芸術の恐ろしいところ。そして素晴らしいところ。
劇場空間で、人々はシンクロして、一つになる。
ずっと演劇をやってきて、ようやく声の使い方を心底理解した。
ずっと演劇をやってきたのは、お芝居することが楽しかったからだ。
どんな酷い状況でもやってこられたのは、演劇をする喜びを忘れなかったから。
たまたま私の精神力がタフだった、或いは鈍感だったからか、続けてこられた。そして、それ以外にも素晴らしい人との出会いに恵まれて、ここまでなんとか潰れずにやってこられた。
ただ、私は本当に偶然に生き残ってた場合であって、間違った指導によって潰されてきた幾つもの才能があったことは確かである。
そういう指導がなくなるといいな、と思う。
誰も躊躇せずに、お芝居する喜びをそのままに表現できるような、そんな環境が広がるといい。
今後もまだ、当時言われた言葉を思い出しては泣くのだろうと思う。
演劇はそういう力もあることを肝に銘じておきたい。
人の人生を変えてしまう力がある。良くも、悪くもだ。
私は、自分の信じるお芝居を続けてきた。
そんな私を、私は好きだ。
自分のことが好きだと胸を張っていえる、そういう世界を作るために演劇をやっている。