8月27日に早稲田大学のどらま館でのワークショップを開催し、無事に終了しました。
合計7名の方が集まってくださり、急な募集だったにもかかわらず、なんて有難いこと…。
制作をしてくださった射延憲児さんは、早稲田でお芝居をしていたときからの知り合いで、当時の超未熟な私に「演劇を続けてみるといい」と言ってくださっていた(希少な人だ)。
今回の打ち合わせの際に、「なんで当時声をかけてくれたのですか」と訊くと「何とか演劇というものをやっていきたい、でもやり方がよく分からなくて藻掻いている感じがあったから」と言っていた射延さん。
当時はまだまだガキンチョだった私に対して、そんな風に思っていてくれたのを知り、気恥ずかしさもありつつ、嬉しかった。
さて、そんな射延さんが手伝ってくださった今回のワークショップ。
募集をかけて初めの方は芳しくない人の集まりをみて、募集のチラシの文句が少々真面目過ぎただろうか、と不安になっていたが、後半になると着々と人が集まる。
よく考えてみると平日の真昼間の忙しいときにワークショップを設定する私がいけなかったのだ。いつも学校で朝から晩までやっているその環境は色んな意味で特別なものなのよ、と自分で自分に苦笑した。
(土日なら参加できた!という声が多かったので、来年の夏は土日にやろうと思います)
「学生に向けて何かの手助けになれば」という射延さんの誠実な思いは、しっかりと講師の私にも受け継がれて、誠実度100%のワークショップに出来上がった(ように我ながら思う…)。
当日集まったメンバーは、多少なりともあの宣伝文に興味を持ってくれた人たちなのもあって、まっすぐな人たちだった。
場所というのは、集まった人たちのもつ空気や雰囲気が作りだすもの。
早稲田のどらま館自体に備わっている雰囲気も多いに助けてくれて、当日は思っていたことが大変にやりやすい環境だった。
ワークショップ自体は4時間という短いもの。今回の目標はごくごくシンプルで、
・一緒に考える場にすること
・みんなが楽しい時間を過ごせるようにすること
このワークショップのプログラムを組むときに、今までやってきたエクササイズを思い起こしてみた。すると「自分が何かを学んだ」と思う体験は、総じて自分自身で何かを考えて自分で発見したと思うときだと気づいた。
それに、私自身フランスやベルギーの学校で何かを教えられる、という経験はそんなになかったように思う。
だからこそ、このワークショップでは何かを教えるということはしなかった。(どちらにせよ出来ないし)
ただただ、「自分で考えられる場所」を作ること、自ら作り出せること。
そのためにも、楽しく、のびのびと。
当日は、目をつぶったエクササイズが多かった。
振り返って考えればそれは、
自分という存在と向き合うことが、他者へと自分が開かれるきっかけになるのだ、という今回のワークショップの主旨に沿うものであったのだ。
自分に向き合ってこそ、ようやく他者と向き合えるのだ、と私は信じている。
人よりどうだ、でなく。
人がどうだったから自分がどうだ、ではなく。
自分の身体のなかで、こういう感じがしたから、こうだ、そういうトコロ。
そうして感じたものをもとに、誰かと接する中でで感じる違和感や、或いは感動や、そういうもので更に自分が変わっていくしかないのではないか。
役という他人を演じるには、これとまったく同じプロセスを通るしか、やはりないように思える。
先日、大事にしているノートをペラペラめくっていると、野球選手のイチローの引退会見の言葉を書き留めていたのを見つけた。
人より頑張ることはとても出来ない。
あくまでも計りは自分の中にある。
自分の限界を見ながらそれを少しずつ超えていく。
いつの間にか自分の状態が少しずつよくなっていく。
そういう積み重ねで自分を越えていく。
一気に高みへ行こうとすると今の自分とのギャップがあって越えられない。
地道に進むしかない。後退もしながら。
ある時は後退しかない時期もあるが、自分がやると決めたことを信じてやっていく。
それが正解とは限らないが、遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない気がして。
イチローのような一流のスポーツマンが、「本当の自分と出会う」という言葉を使っているのが印象的だった。
というか、イチローがこういってるからやっぱりこれでいいんだよねー、と思っているあたり私はまだまだ自分軸が出来ていない、ということだろうか笑
何かメソッドなり、分かりやすい技術なりを学ぶと、とても成長した気になるが、結局それは俳優業のほんの一部の話でしかない。
深く自分と向き合っていると、まあ表面上はまるで変っていない感じがするのだけど、実は自分の中では、羽化前の蛹の中がどろどろしているような、
そんなドラスティックな変化はあるのではないだろうか。
そして、それがある時期になるとある朝、美しい蝶になるという
ドラマチックな展開がこっそり待っていたりするのではないか。
期待を込めて、そう思う。