ヨガ。

私が数年前から通っているヨガの鈴木洋子先生は、すごい。

どうすごいのか。

彼女のいる場所は浄化されていき、その場にいる人は癒されていく。

彼女が手を当てるだけで、人の体は動くし、

見ただけで、相手の体のどこか滞っているのかが分かる。

洋子先生曰く「見えるっていうか、からだが訴えてくる感じなんですよね」。

本当にこういう人っているんだな。

 

柔らかく、強く。聖母って、こういう感じなのかもね、とヨガ教室に誘った友人の小田幸子さんと話していた。

 

洋子先生の作り出す空間が大好きで、それを求めて毎年日本に帰ると教室に通っていた。

ここのヨガ教室に通っている方はみんな人生の大先輩と言っていい年齢層の女性が中心で、そういう方たちに向けたヨガなのでいわゆる見た目に難しいハードなヨガはしない。

ただ、教室が終わったあとは何故だか猛烈に疲れるのだ。それまで体の内側にたまっていた疲れが出るといった方がより正確かも。

友人のひとりでヨガの中でも特にハードだと言われるものをやっていた人がいて、彼女にも洋子先生のセッションを勧めて試してくれたのだが、「洋子先生のヨガの方がすごい疲れる…」とのこと。

本当に不思議だ。

 

そんな洋子先生のヨガ教室も、この夏はコロナのせいで開催されなかった。

しかし、なんとzoomでのリモートレッスンが開催されることになったのだ。

ただ当初は正直言うと、洋子先生のヨガは形をどうこうするタイプのものではないし、リモートでの指導は難しいんじゃないかな、と思っていた。

特に私は洋子先生の作り出す空間が好きだったわけだし。

 

「まあ、一度くらいは参加してみようかな」

 

まあ、話の流れとして予測はつくと思うけれど、

出来てしまったのだ。

リモートで私のいた空間が変わった。

目の前に物理的にあるのはぶっきらぼうな私のDELLパソコンなのに、まるで洋子先生がその場にいるのと同じように、私のいた畳の間の空気も変わった。

空気も変わって、私のからだも変わった。

本当に不思議な話だと思いませんか。

 

「なんでこんなことが起こるのですか」

そう洋子先生に訊くと

「人間のからだって言うのは、私たちが考えているこれよりももっと大きく広いものなのかもしれませんね。だから、画面とか距離とか、そういうのを超えて響きあうっていうことなのかも。映画とか写真とか、ああいうものを見ても何か伝わってくるものがあって、感動するんだと思いますよ」

 

洋子先生に教えてもらったからだの調整のひとつに

一方の手の指をもう片方の手全体で包んで、根本から指先にかけてしゅっと抜いていくというのがある。

指先にかけて、といったけれどもう少し正確にいうと、指の先からさらに遠くに抜けていく感じで包んでいた手を放していく。

こうやって指先を伸ばしていく感覚で調整していくと、指先から抜けていく何かがある。

「なんだか抜けたな。そんな感じがしたら大丈夫です」

 

実はこの「そんな感じがしたら」は私にとって大事な、それは大事な言葉である。

 

洋子先生がよく使う表現にこんなものがある。

「何となく気になるところを触っていく」

 

エビデンスとか、科学的にとかそういったものが求められる現在の社会において

この「何となく」というのは色んな意味で気持ち悪い感覚なんだと思う。

それは「気にしすぎ」になったり「自意識」と呼ばれるものだったり。

個人の感覚というのは、個人の感覚に過ぎない。

だから、他の人にとって当てはまらないものは、多数決によって見ないこと・なかったことにする。

ただ考えるに、確かにある身体感覚の何となくを無視して、頭(ロジック)だけでどうにかしようとすると、ある時点で立ち行かなくなる気がするのだ。

それが表と裏なのか、陰と陽なのか。どういう関係性なのかうまく表現できないが、表も裏がなくては表ではないことを考えても、どちらか一方だけに限定してしまうと嘘な気がする。だって、こちらが見ようとしなくても確かにそれはあるし。

 

 

何となく気になっていいところを触っていいんだ、という気付きを得たときは

救われるような思いだった。

この言葉のおかげで、この世のとても大事なことが見えはじめた。

今まで理解できなかったけれどふんわりと感じていたものがハッキリと輪郭をもって浮かび上がってきたし、

怖くて見ようとしていなかったものも、見えるようになってきた。

因みに、今年の夏にやった早稲田でのリモートワークショップが出来たのもこの言葉のおかげ。

 

在るものをただそこに在るのだと見つめていくこと。

沢山の感情や思い込みの濁流の最中に生きる人間にとってなんと難しいことか。

ただ、これが出来ると一気に自分に対する近視眼的な視線に気づけて

生きるのが楽になる。

あと、絶対にお芝居にも役に立つ。(最近演技してないからしたいなー)


そんなこんなでブリュッセルにいながらも洋子先生のリモートセッションを受けられることになった私は、時間を見つける度にセッションをお願いしている。

今日の朝もセッションだったので、また新しいからだへの好奇心と自分への眼差しにドキドキしている。

ひとつのところが緩むと、今度はまた別の強張りが出てくる。

それこそ、次から次へと。そのまた次から次へと。

人間は「一筋縄ではいかない」のだ。

今まではからだに痛みが出てくると、それはからだからの「助けてー!どうにかしてー!」というサインだと思っていた。

けれど今日は、からだの痛みはチャンスなんだということに気づく。

今の私が受け止められると思ったから、からだの方で痛みを出してくる。

痛みがあるから、気付いて、次にいける。

 

16日に29歳になる。

最近色々なことが目まぐるしく変わっていて、まさに節目だなと感じている。

だから今もからだが変わりたがっていて堪らないようだ。

「今のあなたなら大丈夫でしょう?」と言われているかのよう。

ええ、もちろん大丈夫ですよ、これからも大丈夫ですよ、と

からだも何も全部ひっくるめて自分を愛おしいと思う今の私はそう答える。