卒業制作が先週終わった。
INSASの演出科の学生の4年を締めくくる作品である。
沢山を注いでしまったので、今の私は空っぽである。
人一倍孤独を好むのに、心の中の空虚に耐えられず、無音をかき消すかの如く、友人たちに次から次へと連絡してお茶をするかワインをひっかけるか、それか映画館にばかりいる。
さっき会った友人で上演を見に来てくれた子に言われたのだ。
「もう既にいくつもの賛辞を貰っていると思うから、私の言葉なんて何番目って感じでしょうけど、でも言わせてね。素晴らしかった。全てが美しく、あなたが心をかけて作ったのがビシビシ伝わってきた。何度も何度も鳥肌がたった。本当にありがとう。おかげで素晴らしい一週間を過ごすことが出来たの」
誰の言葉も順位のつけようもないけれど、あなたの言葉とその目の輝きと、全身から伝わってくる一週間前の振動が、私をまた生き返らせてくれたわ。
そんな風にすぐには言えなかったけど、その時の私の全体から漏れ出たものが、彼女に伝わっていたらいいなと思う。
演劇は作った先から消えていってしまう儚いもので、それを残す為に今となっては写真や映像としていくらでも保存は可能だ。ただ、私にはその作品を観た人がそれを語る言葉とその様子が何よりものアーカイブに思える。そこには他にはない何かの魔法が宿る。
私はこの作品を誰よりも近くで、誰よりも多く観てきた人だけれども、
今回こうして彼女の言葉で、また違う味わい方をしている。
「癒しとは忘れていた思いをもう一度思い出して、違う角度から味わうことだ」と誰かが言っていた。
いまこの空っぽな私は、自分の作品とそれに関わった人たちやそれにまつわる時間によって癒されているのだろう。
次に行くためにもう少し時間が必要な気がするけれど、一歩ずつ、一歩ずつ、からだの内側に渦巻く色々を抱きしめて進んでいこう。それしかない。それは、出来る。