友人を亡くした。
中高時代の友人だった。
彼女は研究者だったので、お互い勉強を続けている者同士として、高校を卒業後も定期的に連絡を取り合っていた。
苦しい日々を互いに激励しあった数年だった。
そう言ってしまえば美しいが、本当のところは私が彼女に励まされたことの方が多かったように思う。
訃報を受け取ったのは、先日俳優として参加した四年生の演出科の学生の卒業制作本番数日前のプレゲネの直前だった。
楽屋に到着してふと携帯に目をやると、友人から彼女の訃報を告げるメッセージが待ち受け画面に表示される。
意味が分からなくて読み返す、ということを人は本当にやるのだな、と思った。
ドライだ。
読みかえして三回目に、ようやく意味が分かった。
分かったけれど、その瞬間に脳が空気に晒されたような感覚に陥る。
Une copine à moi est décédée.
友達が亡くなっちゃった。
笑いとも言えないような笑いを口に含んで、その場にいた友人数名にそう告げる。
へらへらしてた。どう反応していいか分からなくて、口元が緩んだ。
その様子に、友人たちもどう反応していいか分からず、彼女たちの口も半分笑って「大丈夫?」と訊かれた。
頭も目も、風に吹かれたような、中身を引っこ抜かれたような、そんな感覚だった。
暫く「わー、わー」と言っていた。
メイクしながら、鏡に映る自分を見て、「わー」と言っていた。
近しい友人を亡くすのは初めてだった。
ナントのコンセルヴァトワールで卒業試験としてジュリエットを演じた際、審査員からの講評で言われたことを思い出す。
「人は本当に衝撃的なことを知らされたら、悲劇の涙なんか見せないんだよ。でも、それを理解するためには人生の経験が必要。」
ああ、このことか。
分かってしまったよ。
プレゲネが始まる。
内なるモンスターに言葉を奪われた、少女の役。
言葉が言葉にならない少女。
リンゴを食べて、罰されたイブ。
声を奪われた人魚姫。
全てを貪りつくすカオナシ。
「どうして泣いてるの?」
これが言いたいのに、言えないでいる女の子。
物語は後半、モンスターから解放されて、少女は自由に言葉を操るようになる。
その時のセリフは決まっていなくて、毎回即興で観客に問いかける形で語り掛けることが決まっていた。
「友達を亡くしたことある?
毎年夏になると会っていて、会おうねって言っていて、結局会わず仕舞いになってしまった友人はいる?
誰かの死をどうやって受け止めればいい?
泣くべき?
笑っていい?」
そんな言葉ばかりが口をついて出た。
そう言っていたら、気付いたら涙が出ていた。
そうか、死んでしまったのか、とようやく理解した。
次の日のゲネで、始まる直前に彼女に語りかけた。
私のからだの中に入ってきていいよ。
お願いした、といった方が正しいかもしれない。
彼女とは演劇部で一緒に活動していた子で、上手な子だったのだ。そう思っていることを一度も伝えたことはなかった。
するとその瞬間、まるで二の腕が自分のからだではないような感覚が。
筋肉への力の通り方が、私の普段のそれではなかった。
あの子だ、と直感的に思った。
その日、自分の意識はしっかりとあったけれど、自分だけで演じてはいなかったように思う。
何かに動かされている感触とでもいえばいいのか。
その時間が終わって、ピンと張った意識が解れて思ったことがある。
今までもそうだったのだ、と。
一度たりとも私は一人で演じたことはないのだ。
彼女が私のなかに入ってきて一緒に演じてくれたように。
私は今までだって、そうやってきたのだ。
誰かに言われたうれしい言葉も、別の誰かに言われた心を切り裂くような言葉も、泣いて過ごしたあの日々も、詰まらないと思っていたけれど実は愛しいあの時間も。
全て私と一緒にお芝居をしてくれていたのだ。
それを分からず、一人でやれるよ、なんて傲慢なことを心の何処かで思っていた自分が恥ずかしくなった。
生かされているのだ、ということを知った。
そして、自分は生きているのだ、ということも知った。
凄いことを教えてもらってしまったよ。
今までなるべく多くを抱えて生きていきたいと思っていたけれども、
今の私には愛せない人も物もあるのだ。その逆も然り。
ならば、これからは、なるべく愛する人やことに心を傾けようと思う。
それでも零れ出る悲しみや苦しみを両腕に抱いて、自分の表現をしていこう。
そうしなよ、とあの朗らかな声と笑顔で言ってくれているよう。
きっとそうだから、今こうして涙が流れるのだろう。
photo by Margot Briand