ある俳優からベルギー文化大臣への書簡

 

現在世界中に蔓延し各国に莫大な被害をもたらすウイルスCovid-19の対策として、ベルギーワロン地方文化大臣Bénédict Linard(ベネディクト・リナー)氏は、文化事業団体へ840万ユーロ(約9億8千万円)の資金援助を行うことを発表した。

これに加えて、各団体は既に割り当てられている助成金を保持することができる。

 

しかしながら、この援助の対象は文化セクター(劇場やフェスティバル運営組織)のみとなっており、アーティストや技術スタッフは含まれない。リナー文化大臣は、アーティストなど個人への補償は、各セクターを通じてのみ行われることとしている。(劇場と契約していた作品の分は補償されるということ…?不明瞭な点が現時点では多いのが現状)

 

この発表を受け、リナー文化大臣に向けてあるベルギー人俳優/演出家のNicolas Buysse(二コラ・ビュイス)から一通の書簡が宛てられ、4月9日にベルギーの新聞La Libre(ラ・リーブル)紙に掲載された。

 

今回、寛大なことに二コラ本人から許可をもらったので、稚拙ながらも翻訳したものを掲載しようと思う。

これは日本からは1万キロほども距離のあるベルギーのアーティストがベルギーの文化大臣にむけて書いたものだけれども、

日本でアーティスト活動をしていたり、

アーティストでなくても自営業・フリーランスとして活動していたり、

そうでなくても今回の件で生活が色々な面で脅かされている人の心に

この遠い異国の叫びが届いて欲しいと思い訳しました。

国民の生活は国が守るべきであり、それは政治家の仕事であって、民間のやるべきことではありません。また、職業に貴賤はないというのが個人的な見解です。

少し長くなってしまいますが、是非読んで頂けたらと思います。

 

 

 

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文化大臣殿

 

私は45歳の一介の俳優です。1996年にリエージュ王立芸術学校を卒業し、25年間あまりを演劇を生業としています。

5人の子供の父親でもあり、人生に心躍らせたりハラハラしたりしながら、アーティストに対する社会保障などが殆ど存在しないに等しい中で、厳しい生活の中にも常に光を見出し自らを奮い立たせてきました。

というのも、ご存じの通り、我が国にはアーティストステイタス※がなく、季節労働者(農業や漁業などで、収穫時期が限定されており一年のうちある時期しか労働できない人)として見なされた上での補償しかないのですから。

 

幼いころから、詩や物語を語ったり、感情を作り出すという魔法、それを他者と共有し、それまでとは少し違う見方をしてみたり、ただ立ち止まり、考えること、そういったことが社会を支えているのだと信じてきました。

 

多くの人々の心を一つの空間に集め、時間を止め、一緒になって一所に閉じこもる。SNSやテレビニュースもなく、権力や名声に飢えた往生際が悪い政治家もいない、そのような空間を作り出せる特権を持つ我々の仕事のなんと素晴らしいことでしょう。

 

25年前から、この仕事をして生きていくのは難しいであろうことは覚悟していました。なぜなら、芸術は利益の得られるようなものではないからです。(資本主義のもとで語られる「利益」の意味ですが。ちなみに、私は職人によってなされる芸術について言っているのであって、エンターテインメントのことは含みません)

 

25年前から、自分はこの仕事のために奮闘しなければという強い思いがあり、そのために不安定な生活を受け入れてきました。私たちは今なお有期雇用契約、しかもその中でも最も低い給料のもと働いているのです。

 

作品が上演出来る限りは、やはり情熱に突き動かされてしまうし、観客との出会いこそ我々が生き、作品をつくるエネルギー源なのだからたゆまずに制作を続けます。

時に1年に5つ以上の作品を次から次へとつくることもあります。

多くの場合、家族のために。生活をするためには、演じる必要があるからです。

 

そして、ある日「ストップ」がかかる。(勿論、必要があってのことですが)

他の多くの人々同様、考え始める。

 

この時間を味わい、空白を生きる。

空白の時間があり、「いくらでも」演じることがない心地よさも感じました。

 

 

しかしながら、あなたの発言に私は強い悲しみを覚えざるを得なかった。

我々はずっと、挫けぬよう、演じ続けられるよう自らの熱情を燃え立たせてきました。人々の生活に必要不可欠であることをやっているのにも拘わらず非常に低い給料であることに甘んじて。

なぜなら、我々なしに文化もコンサートも映画も詩もあり得ないからです。

確かに、上演施設やフェスティバルといった「大きな団体」に対する資金援助も重要ですが、最も緊急を要するもののひとつとして私はこの警鐘をならしたい。

これは私の個人的なレベルを優に超えた要求です。

 

次々とキャンセルされていく契約、既にサインしたものもあればそうでないものもある中(普通、この業界では稽古初日の前日に契約を結ぶものだということも強調しておきたい)、自分たちのことは全く考慮に入れらていないどころか、途中で置き去りにされたような気分にさえさせられる。

我々の生活に今後の収入の先行きを見通す困難さと共に嵐のはじまりがやってきています。

 

不安定な収入に加えて、その収入が完璧に断たれても補償されることはない。

我々には著作権からの収入もなく、今後劇場のプログラムは変わっていくので、制作予定だった作品もなくなるのです。そして、これは想定不可能なことであり、入る予定だった収入の証明は正式な書類のなかに含まれることはありません。

もちろん現状が引き起こす経済的ショックは重々承知しています。

それでもなおこの職業を行っている人間に、少しでも救いの手を差し伸べるべきではないでしょうか。

 

幻滅するばかりです。

既にして不安定な分野に対して何かしらの心強い策がとられることをどれほど望んだことか。

 

しかし、何もなかった。

あるのは「あなた方のことを忘れてはいませんよ」という申し訳程度の一言。

私は言いたい。クラスのびりっけつのような者にもあたたい手を差し伸べる必要があると思う、と。

確かにそれは、誰かに取って代わられてしまうような存在です。ぎりぎりのところで保っている文化を支えられる力さえありません。

しかしそれは、何十年も前からONEM(ベルギー労働局)の不当な圧力のもと、自らの職業を証明しなければならず、そのために奔走し、思いやりのまるでない賃金支払い組織の前で冷静を保たなければいけない存在でもあるのです。

人間を退廃させた商業社会において、確かに自分は少し理想主義的すぎる人生の選択をしたということを、正当化しなければならないのです。

 

今回こそは、我々に対して強力な政策が必要なのです。自分たちのこともきちんと考えてくれているのだ、という実感が必要なのです。

 

そうでなければ、誇張表現でなく、あなたが予想もしなかったような規模の破綻の犠牲者としてアーティストの多くがその情熱を手放すでしょう。このような危機にあって、今まさに強力で勇気ある政策をとり、人々を鼓舞すべきではないのでしょうか?

 

この業界では無期雇用契約のもと働いているアーティストは誰一人としていないことをここに再び記します。

我々は、多くの場合独立した文化人なのです。

フランスでは、舞台俳優、テクニカルスタッフそして劇作家に対する迅速な補助金が支払われました。

 

我が国ではどうでしょう?

心強い返答は皆無。

この危機において、この病原体との闘いの後に優先されるべきは、何にも代えがたいものの中でも人間であるはずなのに。

沈黙はただただ重くなっていくばかりです。

 

今回の件で首相によって設置された対策組織に、人間性や連帯性のある代表者がいないことに驚きを隠せません。

 

文化大臣殿の明快で適切な返答を切望します。

先日国立劇場にて上演された私の作品『最後の挨拶』からの引用をもって、終わりの言葉とさせていただきます。

 

もちろん、医療従事者は現在全力を尽くして患者の治療にあたっていることでしょう。

ただ私は思うのです。

この緊急事態が過ぎた後には、芸術もまた人を癒す役割を担うのだ、と。

 

夢のある美しい社会を私たちが思い描きつづけられるよう、文化大臣殿の特別のご配慮をお願いいたします。

光を追い続けることのできる社会を。

 

 

自分が「できる」のか、それとも「やりたい」のかはもはや自分でも分からない。

ただ、今までとは違った考え方をしなければならないのだということは分かる。

(『アポリーヌ』パリ・コリーヌ国立劇場による外出待機日記より)

 

わたしのポエジーは、スイカズラのように高く伸びる。

一体あの至高の世界に、神よ、あなたのいるその場所にいくその時まで、

この魅了された私の魂のままでいられるだろうか?

あなたが生み出したこの舞台に魅了された私の魂のままで

 (ベルギー人詩人トマス・ブロン)

 

 

ジャン・ピエール

年も取りすぎだし、全部がなんちゃら「過ぎる」、でも演じたいんだ。演じて、もっと演じてあなたたちに出会いたい。あなたたちの生の鼓動、息遣いを感じて、何か感じているところ、涙しているところをこの目でみたいんだ。

 

パトリック

演じること、遊ぶこと、街中で、畑の真ん中で、走って、飛び跳ねて、叫んで、喜び、怒り、投げ出すこと、心の奥底のとても大事なこと、荒れ狂うこと、王様たち、王子様たち、子供たち

 

アルフレド

愛って言葉を口にするには、老けすぎってことか?僕らの気持ちはがりがりに蝕まれてるってことか?

 

ジャン・ピエール

演じる、我を失っているかのように振る舞う、でももはや止まることはない、気付いたら人生がこんなになってた、人生なんて理解できるものじゃないってことは分かってる、自分でどうしようってしたんじゃない、人生が勝手に目の前を滑り出していくんだ、だからってそれを追いかけようとはしない、ただ演じるだ、演じてきたんだ

 

パトリック

僕は演じる、子供が遊ぶように、頭がクラクラする、何にもないんだっていう恐怖、一日の最後に寝るという恐怖に、庭の奥の方で、僕の小屋の中で、遊びふけて熱く火照ってぐちゃぐちゃになった一日を終えるという恐怖に、そう、小屋の中で遊ぶとき僕は時間を止めるんだ

 

ジャン・ピエール

今まで演じた登場人物を自分は最初どんな風に演じてたか記憶を手繰り寄せて遊ぶ、劇場のにおいを思い起こして遊ぶ、香水と人の汗とが混じりあったあの感じ、相手役と最初にしたキスにまた心揺さぶられてみたり

 

アルフレド

失敗して、また始める、また失敗、何か見つける、見失う、月を探す、光を探す

 

パトリック

演じるということ、それは絶えず遊ぶということ、目を大きく開いて、いきいきと、最後の最後までこの内なる狂気を手離さないということ、そして世界に向かって叫ぶこと、生命と時間に挑むこと、時間と戦うこと、それは新しい何かを生み出すということ、演じること、それはどきどきし続けるということ!

 (2019年ワロニー地方ブリュッセル国立劇場制作 二コラ・ビュイス作『最後の挨拶』より抜粋) 

 

 

ベルギーには、隣国フランスのようにアーティストステイタスは存在しない。例えば、フランスにはintermittent du spectacle(アンテルミットン・デュ・スペクタクル)といって、フリーランスの舞台芸術従事者(演劇・ダンス・音楽・映画を含む)を対象とした失業保険制度がある。これは約10か月以内に報酬ありの507時間以上の契約を証明できた場合に加入できる失業保険であり、加入できれば毎月一定の額を国から受け取れるというもの(平均2322ユーロ)。これに対して、ベルギーには季節労働者等によって運営される独立行政法人によって取り決められた失業保険制度は存在しているものの、アーティストのみを対象にしたものはない。この弊害として、失業保険制度に加入するための条件が非常に厳しい(18か月以内に156日間分の契約を証明しなければならない。問題なのは、例えば労働を証明できるのは、契約書に書かれたリハーサル期間と公演期間しかないということ。制作のリサーチ期間やオーディションのための準備時間、セリフを覚える時間などは含まれていない)こと、アーティストとして社会的身分が確立されない、といったことがあげられる。

 

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原文は以下のサイトで見られます。

https://www.lalibre.be/debats/opinions/madame-la-ministre-de-la-culture-apres-votre-prise-de-parole-je-me-sens-tellement-triste-5e8de22e9978e2284155b4a8