地味な練習

コロナ日記は飽きた。

自粛生活には慣れてきた。

 

毎日欠かさないようにしているヨガに加え、ネットで手に入る程度の情報のピラティスと筋トレを加えた。

 

昨日から膣トレも加えた。

膣トレの動画は面白い。

例として画面の中でやってくれている人は、とても集中した顔をしているものの、それ以外は派手に何かをやるわけではない。膣のトレーニングだからね。外からは何かしているように見えない。

平行してやっているほかの筋トレとは違って、外からは何もしているように見えないし、汗をかくこともない。

でも、普段意識して動かすわけではないこの部分の筋トレは簡単には出来なく、いわゆる筋トレとは違う意味で疲れる。

要するに、めちゃくちゃ地味なトレーニングなのだ。

 

ずいぶん昔からヨガを教えている叔母に、ヨガを教えてもらっているのだが、

その中で、ひとつ思い出したものがある。肛門と膣を距離を縮めるトレーニングだ。

これもきっといわゆる膣トレなのだろうけど、当時はあまり気にしていなかった。

でも、その時に言われた言葉と叔母の表情を妙に覚えている。

「こういう地味な練習!こういうのを積み重ねていくわけ。」

ふんぬと言われたその言葉に、なんだか「おお」と圧倒された記憶がある。

 

数年前に言われて、今になって効いてくる。

 

家にいなければならず、派手な練習(稽古とか)ができない今、

この地味な練習しかできない。

でも、この地味な練習が大事なのだ。この地味な練習がなければ、「派手」さはただの空虚。地味が当たり前。

 

当たり前だけれども、忘れてしまう私はまだまだである。