「笑いをとる」という選択のあとは、笑うだけで済むのか?

この土日、日本では史上最強の台風がやってきていた。

被災した人々が一刻も早く穏やかな気持ちで暮らせるように、日本全体が(政府を筆頭に)向かってほしい。

 

日本が大変な週末を迎えていた一方で、私は日本からはとおいブリュッセルの久しぶりのお天気のなか、三週間前から住み始めた新しいアパートで、ぼーっとしている。

 

全然違う場所にいるというのは、分かっているつもりで、いつの間にか忘れてしまう。

これだけのインパクトがないと、そんな単純なことも感じられなくなっているのだから、「慣れ」のちからは侮れないな、と思う。

 

いま、学校では三週間前からrevue(レヴュー)というスペクタクルショーに関するワークをしている。

どう説明すべきか、よく分からなかったので最近では結構確かな情報が集まっているというwikipediaから、説明文を拝借します。

レヴュー(revue)は大衆娯楽演芸のことである。装置衣装照明といった視覚的な要素に重点を置き、音楽舞踏寸劇曲芸などの演目を展開する。元来、フランス語(revue, 発音はルヴュ)で批評・調査を意味し、その年の出来事について風刺的に描く歌や踊りなどを意味し、19世紀末頃から大いに流行した。

とのことである。

日々のワークでやることは、新聞をいくつか読んで、その中からネタを探し、そのネタをもとに全員で1時間の準備時間に10個くらいの短いお笑いコントをつくる、という作業。

フランス語で新聞なんて普段読まないから、書かれ方も独特ですらすら読めない。

ネタを見つけたと思ったら、それをすぐに「嘲笑」にもっていき、1時間といういう短い時間の中で、グループにどうしたいかをテキパキと説明しなければいけない。

 

そして、何よりもベルギー独特のユーモアのセンス。

これが、何とも理解しがたい!笑

一般的な名前を与えるなら、所謂ブラックユーモア。そして、一瞬理解に戸惑うような卑猥さが大好き、なベルギーのお笑い。

フランスのそれとも違うらしいけど、フランス人にも理解に戸惑うようなら、私の「え?」は理解に硬くはないでしょう笑

 

にしても、何かを嘲笑する、というのは難しいなと思う。

今回のセミナー担当のチャーリーは、

「レヴューの醍醐味はは、過激に描写すること。それで、大いに笑う。ここでやらなかったら、どこでやるんだ?」

と言う。

確かに劇場という特殊空間で、ある特定のものをみる、ということを目的とした一定の集団の目の前だから出来ることっていうのはある。

あるひとつの民族のステレオタイプを描くというのは、分かりやすい記号なのであって、その人たち自身を嘲笑しているわけではない。その事象そのものを、笑うための手段である。

しかし、やはり他者を笑うというのは、随分繊細なことだな、と思い、最初はだいぶ戸惑いを感じていた。

何かを笑うというとき、どんな手段があるのだろう、と考えるとそんなに種類はないように思える。自分を笑うか、他者を笑うか、物を笑うか?

(「ふとんがふっとんだ」だったら、誰も傷つかないのかな?)

 

とにかく、この数週間は、

誰をも傷つけずに「お笑い」というものは成立するのだろうか?

という疑問に随分頭を悩ませていた。

 

先日、日本では神戸市の小学校で教員間におけるいじめが発覚したという。

母がワイドショーでそれに対して、あるお笑い芸人が

「人をイジるというのは、僕らお笑い芸人はプロだから出来ることで、とても難しいことだ」

と言っていたというのを話してくれた。

しかし、これもどうだろうな、と思う。

「笑い」というものに含まれる暴力性を無視した発言だと思う。

笑えるのは、ある種の枠組みの中であって、その枠組みを外してしまえば一瞬にして「全然笑えない」なんてことになってしまう。

例えば、学校の中で、フランスのマクロン大統領を好きな人なんて一人もいない(芸術をやっている人たちは、基本的にこの超リベラルな大統領は大嫌い)から、多いに馬鹿にして笑うけど、私がもしマクロンの友達だったら、笑えないし。

 

笑いのセンスなんて、主観的なのだ。

でも笑っちゃうから、面白おかしくて、それが人を傷つけうることなんて人は気付かない。それが自嘲であっても、だ。

いい悪いではなくて、そういうことがあるんだ。

新聞を読む能力と、ネタを考える瞬発力、そしてそれを伝える力を身に着けて、そんなことを胸に刻み込む。

 

 

さて、ここからは余談?だけれども。

そんなことを考えていたから、金曜日の夜に映画館で観た『Joker』には、胸を打たれた。

まさに、その「笑い」がテーマだったからだ。

残酷なシーンのあとに、すぐに笑えるようなシーンがあるのだけど、「うわ、笑っていいの?・・・ぷぷぷ、おかしー」となる(私はなった)ような絶妙な脚本。そして、演技。

ネタばれになるから言わないけれど、脚本も、映像も、そして俳優もすべて素晴らしかった。何が良かったか、と訊かれたら、どれを答えればいいのか分からなかったから、本当に素晴らしい作品だったのだと思う。

お芝居を学んでいる人間としては、やっぱりホアキン・フェニックスの、あの滋味のある演技はため息もの。圧倒するのではなくて、トクトクと皮膚の中に忍び込んでくるような演技だから、本当にすごいと思う。

最近、こういう風に真面目にお芝居してないな、と反省しもした。

 

ジョーカー、女版。出来る将来になるといいなー。