演劇に魂を売る。

学校が始まって1か月が経った。

気付いたらこんなに時間が経ってしまっていた。

 

演劇は、始めてどのくらいになるのだろうか。

一番最初に興味を持ったのは3歳だったのは憶えている。

兄の幼稚園のお遊戯会を観にいった時に、猿蟹合戦でサルのボス役をやっている兄を見て、私もこれをやるのだ、と思ったのだった。

 

あれから20年以上経って、俳優はなんて難しい仕事なのだろうか、とようやく理解する。

しなければいけないことも、舞台で感じることも、その大きさを考えると恐ろしくなって身動きがとれなくなってしまうと思う。

だから、ある時、えいや、と舞台に飛び込む決断をしなければいけない。

だから、えいや、と言った瞬間、人間は俳優になるのだ。

 

俳優になるとはどういうことか。

感性を開くかどうかを選択する、というのが今の最新の答えだ。

俳優本人の内側に渦巻くもの、或いは外部に飛んでいる情報に対して敏感にいるかどうかを選ぶのだ。

右手を動かしたらどうなるか、股関節を5ミリ動かしてみると一体何が起きるか。そういうことを受け取るかどうかを、選ぶのだ。

逆に言えば、そういったものに鈍感でいることも選べる。

 

他の人が感じないものを感じるということは、それなりに恐ろしい。

演じると、見える世界が変わる。

世界が輝きを増していったりする。そうやって見える景色は例えようのない美しさをもっていたりする。

ただ同時に演じるということは、床一面に敷き詰められたナイフの絨毯の上を歩くようなものでもある、と思う。

そのリスクをとってでも俳優になることを選ぶのか。

 

だから、自分が可愛くてお芝居は、やっぱり出来ないな、と思った。

「舞台の光を浴びるのが好き、見られるのがやっぱり気持ちいい俳優」というイメージは、ここヨーロッパでもある。

そうやってお芝居やってる俳優も一定数いるという事実もあると思う。

でも、本当の本当、俳優の核はやはり、

上に書いたようなことを背負ってでも、語るべきことがある人がなるべきなんだと思う。

私は、どうぞ私の身体を使ってください神様、というタイプだったけど、

恐らく今は転換期なのではないだろうか。

 

友人と話していて、演じるって、ちょっと魂を差し出してる感じだよね、という話になった。3歳から女優になりたくて、私はいつ頃、演劇に魂を売ったのだろうか。

フランスに来てからか。その前か。何故だか過去を振り返る最近。

 

そんなことをしている10月終り。