とあることを決めてから、元気になった。
決めた、そして決まっていった、といった方が正しいだろうか。
このことを知人に話したらこんな言葉が返ってきた。
「短い間に、一気にいろいろ体験して、扉がパーっと開けた感じですね。真実の扉が開くときには、ものごとは信じられないくらいスムーズにいくもの」
最近の自分の身に起きていることは、まさにそんな表現がぴったりで、あまりの話の展開のスピードに周囲は困惑したり疑いをもったりしているが、そのことに関係している人たちは至って普通というか、当たり前のように受け止めている。
それは、そういった人たちと私がその真実の扉を一緒にくぐったからなのだと思う。その空気を共に生きたとでも言おうか。空気がどう動き、どのような色にあったかわかっているから、他の余計なものに視界を邪魔されない。自分がどの空気についていけばいいかを分かっている。
私がとった決断は、あまりに突拍子のないものに見えるらしいが、私自身の中ではすべて繋がっていて、こんなに論理的なことはない、ぐらいに思っている。
それから、そういった先に新たな出会いは生まれるのだと最近は身をもって実感している。
物事は必要なときにあらわれるのだ、と大学時代に作演出した作品のなかのセリフに書いた記憶があるが、いやいや本当にそうなのだよ、と何も分からずに書いていたあの時の自分を褒めたい。
思えばあの時もそうなのだと強く信じていた記憶があるが、今はさらにそのことを深いところで理解できる。きっとこの先生きていれば、より一層深い部分にあるところに触れることができるのだろう。
何か学んだと思った途端、自分はまだまだあまちゃんなのだ、と空を見上げたくなる。人間って果てしないなア、と圧倒されると同時に胸が熱くなるような感覚も覚える。あがあがと頭上の空気を飲み込みこんで、それを全部からだ中に巡らせたくなる。
こういう感覚も、これから先もっともっと深いところで感じていくのだろう。
と思うと、やはりコンセルヴァトワールで先生が私たちに何か困難に直面した際は
C'est compliqué(難しいな)
というより
C'est passionnant (わくわくする)
と言いなさい、というのは精神論なんかでなくてこれまたとんでもなく論理的なのではないかと思うのだ。
何を決断したかに関しての詳細は、また近いうちに発表します。
とりあえずね、わくわくするよ。