いい俳優になりたい。

俳優でいるのは、もしかしたら簡単なことなのかもしれない。

フランスに残るのも、大して難しいことじゃないのかもしれない。(実際のところ、全然知らないけど)

と日本で過ごし、そしてフランスに戻ってきて三週間の今、思うのだ。

 

ただ、いい俳優である、のは別の話だ。

じゃあ、いい俳優っていうのは、何かと言われるとそんなのは人それぞれ定義が違うよ、という話になってくるのかもしれないが

それでも、いると思うのだ。

うわ、なんだこの人、ていう人が。

思い返すと、やはりいるのだ。テクニックとかそういうの以上に何かを持っている人。その演技で、こちらの心臓を抉ってくるような人。

 

努力だけでは到達できない場所がある。それを才能と私たちは呼ぶらしい。

やはり才能ある俳優というのはいるのだ。

 

そして、それになりたいと思う。

 

私は演劇自体は大して好きではない。戯曲を読むのも、劇場に行って芝居を観るのも、あまり面白いと思わない。数をこなしていくうちに、楽しみ方は分かってきたけれども、それでもまあ、進んでこれをやろう、という類には入らない。

じゃあ、何故演劇をやっているのかい、と自分自身に問うてみると、それはもう澄みに澄み切った答えが返ってくる。

演じることが面白い。生きている心地がする。

(でもこの答えをこうやって思いっきり言えるようになるまで、どれだけの年月を費やしたか…)

別に、演劇のすばらしさを、人に分かってもらいたいとかそういうことは思わない。

まあそもそも私自身がそんなにそれをすばらしい!と思っていない節があるので、それはムリだ。

でも、人が演じることで、何かその人の「本当」が出てきたりするのに、吃驚する。そういう瞬間を、凛としていて美しい、と思う。

「本当」とか言ってそんなのが嘘か本当かなんてどうやってわかるの?と言われそうだが、そんなのは説明できるものでない。と言い切ってしまうのはどうかと思うので、今のところは説明できない、と言っておこうか。

でも、そういう「本当」の一面に接すると、ヒリヒリと心が言うのだ。

心の琴線に触れる、という言葉があるが、

じゃあ、心ってどこにあるのよ?っていう問いに対して、「ここ」と答えをくれるのが、この言葉な気がする。

心の琴線に触れた、あ、私にとって、心ってここにあったんだ、と。

そうした瞬間って、とても貴重で、生きていてよかった、思わせてくれる、そんなものだと思う。

もう理屈とかそういうの超えたところにあるんだよね。

才能とかそういった類のものが理屈を超えた先にあるものみたいに。

 

ただ、才能も花開かせるためには他の要素も必要で、それは努力と運だったりする。(のであろう)

運は、知らないけれども

努力は、苦しくても泣きながらでも出来るので、しなくてはならない。それが、美しい瞬間を生みだす方法なのだと、多くの先人が示してくれているのだから。

コツコツ、地味に、ひたむきに。