たかが演劇

またまた久しぶりの更新になってしまいました。

何もなかったわけではなく、むしろ公演もあったし、3月に向けてのクリエーションも、映画のスタージュも、コンクールもあったので、ちょっと息切れ気味だった。今、ようやっとバカンスだけれど、全然やること多すぎてバカンスって感じではない。でも、バカンスは今まで起きたことを俯瞰してみていく大事な時間だから、やはりブログは書きたい。

 

ここ最近、私のなかで、「たかが演劇」がキーワードになっている。

決してネガティブな意味で言っているのではなく、肩の力を抜くために言っている。

 

例えば思いっきり演技して悲しいシーンだったりすると、どうしても感情が入ってきてしまうけれども、

そこからすぐに抜け出せる能力というのは大事だと思う。常に冷静な自分がいるから、涙を流してセリフを言ったとしても、演出側からの介入があったらすぐに「あ、今のやりすぎたよね」とスッと抜けられるような軽やかさ。

涙は流れる。でも、涙なんて、目から流れる水でしかない。

流れるものは流れるさ。というような軽やかさ。

 

ただ、この軽やかさ、稽古の段階で積み重ねていかないと、本番でただの白けた演技になってしまうから要注意なんだけど。(今週の月曜のコンクールにて起こったこと)

 

最近は個人的に頭を埋め尽くすことがありすぎて、でもそんな状態だと、思考回路がスッとスマートになる感覚を覚えることがある。

私ったら、基本的に演劇のことしか考えてない。

自分の演技に音楽性が欠けていることに気づいてからは、音楽を聴けばリズムを学び、メロディを学ぶ。

まずは頭で理解して、体に落とし込む(ところまで全然できていない)。

本当は体で理解できるのが一番いいんだけど。道のりはまだ長い。

 

ここ二週間で激痩せして、周囲に心配されるけれども、軽くなった体は扱い易いし、なんだかんだ男の子には抱えてもらうことが多いので軽いほうがいいに決まってる。あ、でも健康です、大丈夫。

 

自分が人に与えられることは何だろう、と思うと、自分が演劇を通して学んだことぐらいしかない。本当はもっと魅力的になりたいけれど、今のところそれぐらいしか私にはない。

 

演劇は私に、何故生きているのか、何故ここにいるのか、何がうまくいくのか、何がうまくいかないのか、そういったこと全てを教えてくれる。

そして、それは実人生に多大な影響を与えてしまう。

 

舞台上では、実人生以上に生きている感覚を覚える。それはもう、燃えるように生命を感じるのだ。でも、ある人に、今のところ実人生の私の方が舞台上の私より魅力的だと言われたので、演劇をしているときに感じるそれは、まだまだひよっこ女優の私の勘違いなのだろうか、とも思う。

 

そしてもしそれが勘違いだとしたら、これがただの過ちであると、いつか分かる時が来るだろうか。 

 

でも、すべてあまり重く受け止めないようにしたいのだ。

だって、たかが演劇。

舞台上で死ぬのが夢だけど、照明なんかが落ちてこない限り、そんな重大なことが起こるわけでもない。やっぱり、演劇は、演劇という、ほんのちょっぴり変わった存在でしかない。

 

そんな演劇が人生をふらりと気まぐれのように変えてしまうこともある。

人間の生はきっと私が考えているよりずっと複雑なのに。

 

でもね、La vie est belle, hein ?(人生っていいものじゃない?)なんて言われると、脳が溶けそうになるくらいには、「たかが演劇」に恋してる。