私は私は私。

学校が始まって、とどまることなく様々なことをやってきたので、新しいクラスになってまだ一か月弱だということを忘れた私たちは、今ようやっとバカンスです。

去年は「こんなもんいらんわい!」と思っていたのですが、今回ばかりは必要だった笑

 

先週は木曜日と土曜日に、ナントにあるブルターニュ公城にて開かれていたフェスティバルでリーディングをしました。

数年前の私に、お城でレクチャー、なんて言ったらひっくり返るんじゃないか。

控室も勿論お城の一角で、眠れる森の美女の塔のようなものを少し上ったところにある。流石にみんなで興奮していたけど、お城のある生活がだんだん普通になってきたここ最近です。

 

そして今週からは10分に及ぶモノローグへと取り掛かりました。

 

でも、その前に、私は月曜日で躓いた。

月曜日の午後に授業がなかったので、クラウンスタージュにてお世話になったキャサリンから出ていた課題を皆で集まってやることに。

その課題とは「金曜日にやったそれぞれの小作品について話し合うこと」

担任の先生もなしで行うこと。何故なら、「仲間にダメ出し、感想を言える、というのはすごく大事」だからだそうだ。

 

それぞれから出てくる感想、ダメ出しに何となく違和感を感じながらも、何となく聞いてる。(でも最近はしっかり発言できるようになってきたんだよ。嬉しい。)

そして私の番。

吃驚した。

吃驚するくらい批判的だった。いや、もしかしたら私がそう受け取ってしまっただけなのかもしれないけれど、みんなから出てくる言葉によって、あたかも自分が最悪なものを披露したような気分にさせられた。

批判的、といってもそこまでじゃないし、根本にはやさしさがあるのだから、そんな風に受け取る私が悪いのかもしれない。

しかし、私はこの傷をその後木曜日あたりまで引きずってしまった。

 

自分でも、そんなにうまく?出来たと思ってはいないし、まだクラウンの世界に足先をチョッピリつけた程度だから、金曜日の小作品は一週間のスタージュで私が発見したものを手がかりにやった。でも、彼らからのダメ出しは、そうやって見つけた小さな私のクラウンを真っ向から否定するような、そんなものだった。それが悪意がないものだとしても、かなりショックだった。

勿論、私が見つけたものが正しいとは限らない。この先続けていれば、あれは間違いだったと自然と気づくこともあるかもしれない。

それでも、思う。私が経験した一週間、短いその時間で、私がみつけた小さな宝石は、果たしてニセモノだったのか?と。

 

こたえは、ノン。

私の小さな宝石は、変わらず輝いているし、それを守っていくのは私である、というのが今の気持ち。

私はこのクラウンスタージュを全くの白紙から始めた。日本人の私にとっては完璧によく分からないもの。対して、私以外のクラスメートはある程度のイメージを持っている。基盤が違うんだから、そもそも受け取るものも違う。スタージュの末に、私が導き出したAという事実も、それは私が皆とは全く異なったコンテクストをもって理解した結果である。だから、彼らにとってはAの対立項のBが正解だとしても、私にはそれが理解できない。だって、そもそもが違うのだから。

そんなことを、スカイプで話していた母に言われた。

 

「人の前に立つ人は大変だよね。他人の声を聴きつつ、それでも自分の信じる道を行かねばならないのだから」

 

その通り、俳優というのは矛盾している。人に見せてあーだこーだ言われるのを前提に、それをすごく気にしたり、時にそれにすごく傷ついたりしながら、それでも結局はある程度「それはそうとして!」と言い聞かせて己の信じる道を行かなければ行けないのだから。

 

他人からもらったダメ出しは貴重だし、謙虚に聞くべきだ。

ただ、悲しいかな、他人は他人である。良くも悪くも他人である。

他人は、私の頭の中がどうなっているかなんて知らないし、それを知らないで私にむかって言葉を発する。だからこそ他人からのアドバイスは私の中からは出てこないものになり、興味深い。だからこそ、時にものすごい威力を持って私に向かってくる。

決し安定したものでないものを前に、まず何よりも私が一番大事にしなければいけないのは、私自身なのではないか。

私がキャサリンから受け取った個人的なメッセージであり、それを受け取った私なのではないか。

決して驕った気持ちではなくそう思う。

 

そう、つくづく、私は違う。

フランス人じゃない。フランス文化で育ってない。見た目も違う。考え方も違う。

だからどうだとかでなくて、そうである自分を信じて立っているしかない。正直、それしか立つ方法がない。

 

スタージュ中、キャサリンに積極的に日本語を話すように勧められたのは、「日本語でしか触れられない景色があるから」だ。だから、曲を選んでこいと言われたときに迷いに迷ったけど、くるりの「ばらの花」を選んで流した。案の定涙が止まらなかった。けれど、ぽろぽろ流れてくる音と歌声に、寒かった冬の日とか、苦い恋愛とか、大学への通学路とか、あの時期に着ていた服とか、そういうことが、青春映画かよダサいぜ、みたいに思い出させられる。私が経験した私だけの瞬間。

その景色を思い出せるのはそれを通ってきた私だけで、そして、それを通って、私は今ここにいる。

 

私とあなたは違う。

違うから難しい。でもだからこそ尊い。

それを忘れずに、これからも演劇できたらいいよね。人へのダメ出しや感想も、それを大前提にして言いたいね笑

 

そうそう。この間、写真を撮ってもらったんだけど、写真でみる自分と鏡で見る自分はこうも違うかあと興味深かった。よく笑うから顔中しわだらけだし、たまに二重顎になってたりで、美しい、とは思えなかったのだけど、いろんな瞬間を通って今ここにある顔は愛おしい。これはこれで、美しいではないか、と思ったりする。

 

 

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