長いバカンスも終わり、学校が再開した。
休み明けの月曜日は、学校の現代音楽科の生徒たちとのコラボレーションの授業!
私たち演劇科は、ポール・クローデル『tête d'or(金の頭)』のモノローグを準備。
それに合わせて、現代音楽科の生徒たちが、それぞれのイメージに合わせて選曲してきてくれた曲をもとに、即興で音楽を合わせるという企画。
最初はどうなるか不安な感じだったけど、始まってみると、あまりの格好良さに、みんな大興奮で「早くやりたい!!」と自分の番を待っていた。
私に提案してくれた曲はこれ!
こんな風に音楽と合わせてっていうのは初めてだったし、彼らは私のアクセントになれているわけでないし、そんな私がポール・クローデルのかっこいい言葉を言うの・・・と要らぬ邪心満々、脚がガクガクの状態でマイクの前へ。
ギター、ドラム、ベース、キーボード、歌、が鳴る。
これらすべて、私は全く別世界に生きてきたと思っていたのに、
こんなに近くで鳴っている!これってすごい!
こんな興奮と、まだまだ続く恐怖心と、言葉を逃さないように必死だったけど、
やっていくうちに少しずつ分かってきた。
今わたしがやっていることは、音とのダイアローグなのだ、と。
自分が用意してきたものはモノローグだと思っていたけど、
たぶん、この言葉たちは、
その場にある音や空気や見えているものとダイアローグを交わしているのかも。
交わすことができるのかもしれない。
そんな風に考えるともしかしたら、彼らが鳴らしている音楽は、普段目に見えていなかったり、聞こえていなかったものを、弦をはじいたり、鍵盤をたたいたり、或いは自らの喉を使って、私たちに分かりやすいように提示してくれているのかもしれないなあ、と少しロマンチックすぎるようなことを考えたりした。
こんな話をしていると、日本にいるときにワタリウムで、写真家の齋藤陽道さんの写真展に友人と一緒に行ったのを思い出す。(齋藤さんのホームページ:写真家 齋藤 陽道)
ちょうど、こんなふうに、そういえば彼の撮る写真には音楽が溢れていたな。
というか、彼の写真は、世の中のもの全ては音楽を鳴らしているのだ、と教えてくれた気がするのだ。普段気づかないだけで、私たちは音の中に生きているのだなあ、と。数年前に気付いたことなのに、またこうやって簡単に忘れてしまう。
私たちはずっと歌っている。
さっきロマンチックって言ったけど、ロマンチックでもなんでもなくて、
普段気づかない私が冷め切っているだけなのかも。
ロマンチック関連?でひとつ。
ポール・クローデルの言葉たちをいざ自分の口にしてみて思うこと。
かっこいいーーーーー!!
私には、学校のみんなが言うような「詩的だ」とか、そういうのは一切分からないのですが、なんというか兎に角かっこいい。解釈が難しいのは百も承知で、かっこいい。
いわゆる「決め台詞」のようなものが幾つも転がっていて、それを一息で言うことに、驕りではなく、俳優としての「生きている!」感がある!(驕りなのだろうか・・・)
日本で演劇をやっているとどうしても踏み込めない領域、古典にしかない決め台詞。
歌舞伎には見得を切るという行為があるけれど、あれが私の言いたい「決め台詞」。
ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?これ!
本当に個人的な感情だけど、最高に良い。
音楽科の生徒と合わせてみてつくづく思ったのが、
ロックになりたい。ということ。
フランス人のいうところの「詩的」な言葉たちをどうロックにしていけるか。
私の台詞に頻出する「おお!」や「ああ!」の中でどうロックンロールしていけるか。
今回のコラボレーションでできた中で一番お気に入りの、クラスの男の子のモノローグのために用意された曲。
ロックンロール!!