なりたいものには一生涯かけてもなれない。

先週の金曜日に、一学期が終わった。

とてもとても長かった。

と同時に、アッという間だった気もする。

 

とにかく、今年は「頑張りすぎないこと」を頑張ろうと思い。

辺に頑張りすぎなかったり、やっぱり難しかったり。

色々試してみたけど、たまには上手くいくこともあれば、やっぱりすごい頑張った先にしか力を抜くことができないものが、今の私にはまだまだあるのだ、と分かった9月からの3ヶ月。

 

この歳になってまだこんなに泣くか、と野獣かモンスターのような自らの声に吃驚した夜もあれば、

新しく始めたバイト先のお陰で、どんどん繋がっていく縁に、

今まで日本人を遠ざけてきた5年間はなんだったのだろう、と思う夜もあった。

とにかく上手くなりたい、演技力さえあれば何もいらない、と思って生き続けた5年間だった。

(マリリン・モンローもどうやらそうだったみたい)

演技力なるものが着いたのか、それは分からない。

自分で満足したらそれで終わりだと思っていた。

ただ、昨日、バイト先の板長(ベルギーでずっと昔からきちんとした日本料理屋さんをやっていらしている方。すごいんです)に

「今日と昨日で出来ることが変わってくる。昨日できていたことが今日出来なくなっている部分もあれば、昨日まで出来ていたことが今日になってようやく出来ることもある。だから、日々、自己満足なんですよ。完成はないけれど。完成はない中で、その日その日変わっていく自己を見つめていくしかない。そういう意味で、自己満足。」

とのお言葉を頂いた。

 

完成も成功もない。

「成る」ことなどないのだよ、と。

 

ナントのコンセルヴァトワールを卒業した時に、それまで見えていた俳優の道が、更に長くなったような気がしたのを忘れない。

ひとつ大きなことを出来るようになったと思ったら、それはジュリエットを演じていたあの瞬間だけだった。

それが終わったら、もうそれ以前よりも、考えていた道がずっと長くて、

おいおいまじか。

と思ったのだ。

ただ、今よく考えれば、あの時ちゃんと頑張っていたから、私には「成る」ことはあり得ないことを経験するという有難いことがあったのだろうな、と思う。

 

なりたいものには一生涯かけてもなれないのですね。

字面だけは超ネガティブに見えるこの文章を、それでも私は超楽観的にとらえているということを、分かってくれる人がいる、というその有難さを噛みしめて、またこれからも頑張っていきましょう。

 

2020年はね、1月から待ちに待った超絶忙しい年になりそう。

願いことも、たまには叶うよね…!

 

 

瑞季