ステレオタイプを受け入れてみた。

一ヶ月間続いたチャーリー・デゴットとのセミナーRevue(レヴュー)が、昨日終了しました。

Revueについては、先日のブログ記事に詳しく書いてあります。(「笑いをとる」という選択のあとは、笑うだけで済むのか? - KONDO MIZUKI'S BLOG

 

チャーリーは俳優でありドラム奏者でもある、超ポジティブご機嫌おじさん。

INSAS創設以来初の女子だけの演出コースを形成する私たちとチャーリー。

「わー、私たちチャーリーズエンジェルだ!」と最初からノリノリで始まった。

 

毎朝マジカルバナナをするところから始まり、

踊ったり、歌ったり、映画のパロディー作ったり。(でも、これ全部演劇学校での学業なんですヨ!笑)

そして、午後は全員でチャーリーが持ってきた数種類の新聞を回し読みし、そのなかから興味のあるもので風刺コントを作る。

そんなことを毎日一ヶ月近く行っていた。

 

最初は風刺をすることに大分抵抗があるネタもあった。

風刺する手段として、物事を極端に語る、というものがある。

例えば、中国人ってこうだよね、とか。

ただ、まともに考えれば、

13億9千万人もいる中国人をひとまとめにして

ひとつの中国人像を語ることなんてできない。

でも、物事を分かりやすくするために、あるひとつのステレオタイプを語る、というのがある。

それは、決して中国人を馬鹿にするためではなく、

例えば

中国で導入が検討されている「行動監視カメラ」を風刺するためのひとつの手段である

というようなこと。

 

もう一つ例を挙げると、

この一ヶ月の間にフランスのジャック・シラク元大統領が亡くなったこと。

「個人の死だし・・・笑えるのかな・・・?」

なんて思ってたりしたけど、

例えば

「シラクが死んだ!」

と言って、

そのあとに特段取り立てても言うことがないという状況にぶつかる。

「で、なに?」

と。

それで結局、確かに、特にそれに関して言うことはないよね

という結論に至り、それがおかしかったりする。

それなのにフランス政府は、大々的なシラク元大統領のお葬式をしたりするのである。(大金をかけてね)(もちろん、シラクさんは良いこともちゃんとしましたよ)

 

こんな風にして、このセミナーを通して

「すべてを笑う」ことに対して、かなり抵抗がなくなった。

 

そして、ひとつ大事なことが分かった。

これは、演劇という枠組みに通じること。

 

それは、「すべてを笑える」のは劇場という特殊な場でやるから、ということ。

ベルギーという国で暮らし、

ベルギーのユーモアを理解し、

ある日の19時30に、ある劇場で「今日は風刺コントをみるぞ」という前提のもと、

劇場に向かう人だから受け取れるもの。

これが、無分別に不特定多数の人が受け取れる環境で配信される情報だったら、笑うことはやっぱり無理だろうな、と思う。

笑うどころか、誰かを傷つけるだけに終わるだろう。

(シャルリー・エブドの事件とかね)

 

セミナーのかなり最初の時点でチャーリーに

「なんか抵抗があるんだよね」

とぽつりと漏らした時に返ってきた言葉がある。

「でも、ここでやらなくて、いったい何処でやるんだ?」

この彼の言葉は、今まで書いてきたすべてを語っていると思う。

 

 

随分前からチャーリーは、私たちにこの言葉を良い続けたのだけど、

このことをストンと理解したのは、ついこの間の火曜日。

実は、チャーリーの知り合いでベルギーの伝説的ストリッパーであるダヴィナが、私たちのために特別に3時間だけストリップを教えに来てくれたのがきっかけである。

ダヴィナの放つ魅力といったら、本当にとんでもない。

パワフルで、フレッシュで、セクシー。

セクシーなダンスも、下着を少しずつとっていくのも、最高に楽しかった。(自分がこんなにもノリノリでストリップを楽しめるなんていうことも思いもしなかった…)

ダヴィナの美しいダンスにうっとりしてしまった。

 

でも、これもやっぱりストリップというひとつのショーがあって

それをやりたい人がやって

「服を少しずつ脱ぎ去っていって、裸になる」ということを知っている人たちの前でやるから面白いショーになる。

双方の合意がとれていないでやるのであれば、

やはりそれは「暴力」でしかないと思う。(そうじゃなかったらただの露出狂だよね…)

 

劇場っていうのは、

色々な意味で「ショッキングなものをみる」という前提で行く場所なのだなあ、

と改めて、

というか初めてくらいに思う。

こんなに長く演劇やっていながら、こんな基本的なことに今更気づいて恥ずかしいばかりです…。

 

勿論、そこでショッキングの乱用があってはならないとは思う。

何をするか、しないかを判断する分別が必要になってくるとは思うので、

そこには作る側のセンスが大いにかかわってくるのだろう。

 

 

木曜日の発表はというと、

大好評のうちに終わりました。

私はショー全体のプレゼンターを務めて

チャーリーの要望により、全て日本語で司会進行。

実は、数年ぶりに舞台上で日本語を喋った。

以前だったら、絶対に拒否していたのに、ここにきて喜んでペラペラと日本語で喋った。

クリシェを自ら押し出すことも、寧ろ喜んで行うなんてことも笑

舞台に立つ人間としての

自分の中での倫理観がだんだんハッキリしてきたように思う。

 

とりあえず、今回に関して言うとヨーロッパ人も笑えるようなクリシェまみれの恰好をするのはOKでした(むしろ自分で選んだ)

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白塗り。おちょぼ口紅。ニセモノ着物。すべてここに在り。