ドラマティーチャー・いしいみちこ先生ワークショップに参加してきました。

8月9日10日と、早稲田大学どらま館主宰のいしいみちこ先生ワークショップに参加してきた。

 

講師のいしいみちこ先生は大阪の追手門学院高校の教諭で、演劇を教えていらっしゃる方だ。

この高校には、理系や文系と同じように、演劇コースというのが存在しているという。日本にそんなところはそう多くはないだろう。正直、全然知らなくて、知った時は驚いた。

それよりも、更に驚いたのは、いしい先生の行う演劇教育/教育の質の高さだ。

質が高い、という言い方があっているのかは分からない。

ただ確実なのは、一日三時間、計六時間のワークだったにもかかわらず、自分が少し変わった感じがあったということ。「素晴らしい時間を過ごしたな」という感じがあったのだ。

 

今回このワークショップに参加したのはイベントの宣伝文句である

「身体の声に耳をすまし、個人の身体を取り戻す」

に興味を持ったからだ。

あ、これはいいやつだな、と思って実際に体験したいしい先生の「教育」は本当に、

いいやつ、だった。

 

 

INSASは夏休みなので、しばらく演劇らしい演劇もしていなかったし、色々とサボっていたので、初日は身体がガタガタ。

ガタガタの身体というのが何を指すかというと、相手のことも自分のことも見られていない状態のこと。そういう身体でいるとどういうことが起きるか、というと、走るワークにおいて他の参加者に追突する、というそういう乱暴なことが起きるのだ。

え。こんなの普段ないのに、と自分でもびっくりだったのは、要するに普段はそれなりに訓練された、或いはそれ用に準備された身体でいるということだ。逆に言えば、この夏休みで怠けていた身体は、自分のことも相手のことも見られないようになっていたということだろう。

実は身体がほぐれてくる前の時間は、そういう身体から出てくる自分の言葉にも、少しびっくりしていた。なんとなく攻撃的で、とげとげしている。自分を守ろうとして、甲冑を被った言葉、言い方。

心と身体は繋がっている、という事実を改めて実感する。

 

二日目は、一日目より少し元気な状態でスタート。これも一日目があったからこそな気がする。ワークの途中でいしい先生から直してもらった姿勢で歩いてみると、視界がすうっと開いて世界が違って見える感じがした。

 

スッと立つと、気持ちいいのだ。

そして、そうやって気持ちいいとなんだか他者にも優しくなれるように思う。

 

本当に、これに尽きるよな、と思う。

上手い演技とか、いい演技とか、そういうのはよく分からないけれども、

自分ではないものに優しく寛大になれる状態は、よきもの、に近いのではないだろうか。

その中から出てくる演技と呼ばれるものは、やはり演技を受け取る側、相手役だったり観客、にも寛大なのではないかと思う。

 

「自分の中で気持ちいい」とだけ言うと誤解を生むだろうか。

自分自身が自分の存在を良しとする。

自分に優しいということ。

自分を尊重しているということ。

そんな風に言い換えてみるといいのかもしれない。

 

これらのことを体感する、私が感じたいしいみちこ先生の演劇教育の神髄はまさにそこにある。

その教育が日本の高校で行われているという事実は大きな救いだと思った。

自分は大事な存在である。そして、それは他者においても同様である。

このことは現在なされている教育、少なくとも日本の教育の中では学びづらいように思う。
このことを真摯に教えていらっしゃるいしい先生には、本当に頭の下がる思いだ。しかも、面白くて楽しい。演劇っていうのは、苦しく辛いものではないのだ。

 

三日間ある日程のうち、二日間しか参加できなかったのだけど、二日目が終わった際にいしい先生から「表情が全然違う、すっきりしたね!」と言葉をかけてもらった。

私自身の感覚も本当にそうで、ワーク中はひたすらに楽しくて、自分の全存在がよろこんでいる感じがしたのだ。

こういう時に出てくる言葉は、とげとげしていなくていい感じ。

なによりも、こういう時に人と接する自分は好きだ。

 

 

実はこのワークショップのおかげで、嬉しい再会もあった。

いしい先生のアシスタントで、自身も追手門学院高校で演劇を教えている矢田部美咲さんとの再会、或いは初対面と言った方がいいか。

彼女も過去に早稲田の演劇サークルに所属していた。在学中に面識こそあれど一度も話たことはなかったけれども、卒業して数年たったこの夏、初めて会話を交わした。彼女も私のように早稲田での所属サークルでのやり方に疑問を持ち、別の演劇のやり方(いしい先生の行っている演劇)に巡りあった人だ。

会話を交わした、どころじゃない。ワークショップ期間の多くはない時間で、大いに語り合った。

 「学生のときに会ってたらこんな風に話せなかったよね、今会ってよかったね」

こういう巡り合いもあって、やっぱり演劇は一生続けていきたいと思うんだな。