トクトクとしてジャンプする。

18日火曜日の口頭試験をもって、L'INSAS一年目が終了しました。

あとは、明日21日の講評のみ。

長く、短い一年だった。

 

18日にあった口頭試験は、1月と4月にもあった口頭試験と同じプロジェクトの第三弾目。ソフォクレスの『アンティゴーネ』の演出プロジェクトをまとめたポートフォリオを提出して発表したのが4月。(詳細はこちら→近況報告。 - KONDO MIZUKI'S BLOG

それを受けて教師陣からいくつかの課題が出されて、それに返答する形で更にプロジェクトの内容を深めていくのが今回の口頭試験の内容だった。

 

4月に課題を言い渡されて、その時に直感として分かったのが「もっと話しなさい」ということだった。複数人の教師陣を前にしてプレゼンなんて、恐ろしくて、たださえプレゼンするのは苦手だというに。だから、とにかく手短にすませた4月の口頭試験。ちなみに1月のは、もうそれはそれはひどくて、もはや喋っていた言葉がフランス語なのかどうかも疑問だったと思う…笑

 

『女中たち』の演出セミナーが終わって、まったくもって課題に身が入らないなか、それでもフンフン言いながら机に向かって妄想を膨らませていった。

演出プランなんかを考えていると、結局人間と言うのは外部から何かを学ぶというのは無理なんだな、と思った。

本や映画、絵画やらとインプットはいくらでも出来るけれども、そういったものは、自分の内面に既にして在るものに手を伸ばすのを手助けしてくれるだけなんだと思う。

自分の中にいつの間にか、いつからか、存在するもの。

そういうものが、自分以外の存在に触れた時に反応するかしないか。反応するとしたらどう反応するのか。

こう考えてみると、私はまだまだ外部から取り入れる量がまだまだ少ないような気がする。アルメルに言われた怪物性をもっと掘り下げろ、というのは、もっと色々なものに触れなさい、ということだろうか。

 

確かに、今回ポートフォリオ段階での舞台美術を大きく変えたのは、一週間前にアンナ・テレザ・ドゥ・ケースマイケルス振付P.A.R.T.Sの今年度の卒業生たちの作品『SOMNIA』を観にいったためだった。

ブリュッセル中心地から車で30分ほど離れたガーズベーク城で、中世のお城とその敷地内の森を使って3時間半もダンサーたちがシェイクスピアの『真夏の夜の夢』を上演した。

 

そこで、あ、そうか屋外でやればいいんだ。と思った。

その際に、今ヨーロッパで大注目の若手演出家でベルギー・ゲントの国立劇場NT Gentのディレクターであるミロ・ラウが掲げるマニフェストのうちのひとつに着目した。

 

古典をそのまま脚色して舞台で使用することは禁止。源になる台本、本、映画、演劇はプロジェクトの発端として使用され、最終的な上演時間の20%までしか占めてはいけない。

 

(Twitter上でのSofia.Dさん自身よる翻訳を引用させていただきました。)

因みにNT Gentの公式ホームページにマニフェスト全体が英語とオランダ語で掲載されています。Ghent Manifesto | NTGent

 

それで、そうかじゃあ私も脚色しよう、と。

私自身がミロ・ラウのファンだとか、そういうのではなく、現代ヨーロッパ演劇界を牽引している演出家の言うことについていってもなかなかに面白いのではないだろうか、とそういう単純な理由で。

 

脚色の具体的な案はないけれども、脚色するうえで原作の中で一番大事なところはしっかり押さえておかなければいけない。『アンティゴーネ』という作品において、私が最も尊いと思うのは、この誰一人味方のないヒロインが、それでも自分の信じる正義を全うする、その中で大声で運命を、神々を呪うところだ。

 

私が演劇をするのは、この世界で叫べない人々の代わりに叫ぶためだ。

 

だから舞台上で、孤独を泣き叫ぶアンティゴーネの姿は誰かの救いになるかもしれない、と思った。

誰かが代わりに精一杯声をあげている姿は、誰かの気持ちを少し軽くするかもしれない、と。

 

でも、そんな叫ぶほどの孤独を抱えている人って劇場にやってくるの?

そう思ったときに、直感的に「ないだろう」と思った。

ヨーロッパでの観客人口は正直飽きれたもので、殆ど白人、富裕層、そして比較的高い年齢層ばかりだ。

とにかく、普段劇場に来ないけれども、そういった演劇的救済を必要としている人は絶対にいるはずだ、と思った。

 

じゃあ、もう外でやろう。

お金を払わなくてもいい場所でやろう。

じゃあ、街中の公園でやればいいじゃないか。

有料席と、無料席をつくって、いろんな人がその場にいられるようにすればいいじゃないか、と。

 

紙面上での演出プロジェクトだから、なかなかに波乱万丈なことが言えるだけなような気がするけれども、なかなかにいいアイディアな気がした。

 

そこからは、比較的スムーズに他の課題にも答えて、以前よりもプランがはっきりした。

 

 

口頭試験当日。

第一声から自分でも驚くほどの落ち着いた声で発表を始めた。

10人もの教師陣を前に(今までで一番多かった…笑)、よくもこうも落ち着いているもんだ、と自分で感心するほどに。

公園の案は、先生たちからの反応がすごいよかった笑

最後のシーンの演出プランは、少し大胆だったからか、苦笑なのかなんなのか、笑って終わった。

 

1月、4月を振り返った時に、今回の私はなんて成長したのだろう、と一人でただただ嬉しかった。

自分自身に対してよかった、と感じたのは初めてだった。

それまでは、何かやってもすぐに出来ないことばかりに目をやってしまっていたのだ。

でも、こうやって自分の成長に喜びを感じられるようになった自分になって分かるけれども、私の場合あれはただ誰かから「大丈夫だよ」という言葉を掛けてほしかっただけなのだかもしれないな、と思う。

 

でも、結局誰か他人から言われる「大丈夫だよ」より、自分の中での「大丈夫」の方がずっと気持ちがよかった。何というか、世界と同意しているな、という感覚だった。

 

水の流れに逆らわずに生きる。

そうすると、たぶん滞っていたところもいつか通り抜けるのではないだろうか、と思った。

前から思っていたのだが、私の感覚は水が流れることによく例えられる。

それはたぶん私の中にずっとあるものだからなんだろう。(みず、きだし)

それで、実はすごい久しぶりなのだ、自分の感覚の中に水の表現が舞い戻ってきたのは。暫くの間、なくしちゃったのかなあ、と思っていたけど、そうではない。

長いこと、トクトクと流れて、ふと滞りを解いたのが今回なのだろう。

 

長いこと静かにしていたとしても、ある時ふと大きな一歩を踏み出す。

そういうこともあるのだから、これからもコツコツ頑張っていかねばならないな、と思う。

 

とりあえず、もう少しで日本に帰る。長いバカンスが始まる。

 

 

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大分日焼けしてしまいました笑

 

 

 

 

 

 

 

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