8月の終りから一昨日まで、約3週間続いたベルギー国立演劇学校L'INSASのコンクールがようやく終わった。
それで、
晴れて、この学校の演出科への入学が決定しました。
念願の国立演劇学校。
4月にスイスのLa Manufactureを受けて落ちて、(詳細はこちら→受験報告と仕事報告。 - 近藤瑞季の足踏みの覚え書。)その後パリに移動して、もうそろそろ日本での活動時期かなあ、と思って、まあ記念に、ぐらいの気持ちで受けてみたら、受かってしまった。
そういえばナントのコンクールも、そんな気持ちで受けたら受かったのだった笑
1日目は、必要書類を提出して、その場で15頁に及ぶ質問用紙を渡される。
「あなたの好きな映画を2つあげて、コメントしてください」とか
「演劇をする人間として何を観客に伝えていきたいですか」とか。
小学校のときに流行っていたプロフィール帳の延長線上にあるような。
これを翌日の8時半までに提出。私の場合は14時から翌日朝5時まで15時間ノンストップで書き続けた。後で他の人に訊いたら人によるけど、さすがにフランス語母国語者なだけあって、こんなには時間かからないのよね笑
苦労して書いたものを提出したら、次はこの学校のコンクール名物のCriée(クリエ)へと移る。
これが何かというと、受験者の中からそれぞれ自分のシーンに必要なパートナーを見つけていくというもの。
通常、演劇学校の入学コンクールでは、事前にパートナーを見つけて、シーンを稽古して、当日審査員の前でそれを発表するという形式をとるのだけれども、この学校は恐らく唯一、この「その場でパートナーを見つける」という形式をとっている。
そして、みつけたパートナーと4日間の準備期間中に稽古して翌週、審査員の前で発表するという流れになる。
学校の先生が「~さんは、マクベスのシーン〇、マクベスを演じるためにマクベス夫人を探しています!」とCrierして(叫んで)、やりたい人が立ち上がる。そこで、受験者自身が「じゃあ、あなた!」とCrier(叫んで)その場でパートナーを見つける。
まあ、これがかなり恐ろしい状況なのだ。選ばれるか選ばれないか、自分のシーンに誰か立ってくれるかどうか。終わって泣いていた子もいた。(いや、確かに何回も立っているのに選ばれないとそれは結構、精神的に、くる)
無事にパートナーを見つけたら、次は4日間の稽古。
とにかくお芝居できていることが幸せすぎて、オーディションの日が近づくにつれ皆の緊張度が増していく中で、私はひとりどんどん元気になっていっていた。
オーディション当日。私の用意したシーンは、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーンと、ボト・シュトラウスの「大きいのと小さいの(Grand et Petit)」か1シーン。
ああ、この感覚。流れるように、水のように。言葉が感情を生み出す。そして、世界は輝きを増すのだ。自分の大部分を、世界にゆだねた時にしか見えない景色がある。
一次試験は無事合格。この時点で、250人から演出科・俳優科のべ64名に減らされる。
しかし、あれ?とここであることが起る。
「私は俳優科志望なのに、演出科の二次試験に通ってる?」
確かに、受験登録の際には、一応どちらにも願書を出しておいたのけど、面接(そういえば250人に対して、この学校は一次試験期間に10分の面接を行う。太っ腹!)では「女優になりたいです」と言ったはずなのに?なぜ…?
二次試験1日目のスタージュの後に、審査員の一人に訊いてみた。そしたら、
「あなたには、やっぱり言葉の壁があるから、審査員で話し合った結果そうしたの。二次試験であなたによりチャンスを与えたかったのよ。」
と。
大ショック。ちゃんと発音した。ちゃんとみんな分かったって言ってた。
なのに、またか。
また発音か。
「でも、演出科も沢山演じる機会はある。女優として活動していくにあたって演出のことを知っているのはものすごい大事なこと。あなたの力もあなたが女優でありたい、ということも、私たち(審査員)は分かっている。それに、女優であることを決めるは学校ではなくて、あなたよ。」
ポジティブな面をみるようにしてみて、そう言われても。いや、さすがに。
なぜ、言葉のせいで、そのせいだけで、本当に欲しいものが手に入らないのだろう。
勿論、演劇が言葉の芸術であることは十分承知している。
でも、どうして?
この学校が、多くの他のフランスの国立演劇学校とは一線を画しているのは話に聞いていたし、だからこその受験だった。アクセントなどもあまり気にしないし、とても開けた学校だ、と。
それなのに。
決して、審査員側が意地悪だからとか閉じているからだと、そういうのではない。だって、私がこの学校にいることが良いことなんだ、と思ってここまでとってくれたのだから。
それでも、あまりの悔しさにその場で涙が止まらなかった。
翌朝、泣きまくったせいか、目の下の毛細血管から内出血している。今までこれでもかというほど泣いてきたけど、さすがにこれは初めて。
そして、母親と電話で話して少し落ち着く。
「辛いよね。でもね、シュワちゃん(シュワルツェネッガー)も、大分英語に苦労したんだもんねえ、って(私の)叔母さんと話していたの。最初はセリフのある役はあまりオファーがこなかったみたいだし。それがアメリカで知事にもなったんだものねえ。」
小さいころに、テレビで観ていたターミネーターのシュワルツェネッガーを思い浮かべる。強面で、ムキムキで。あの人がねえ。泣いたかどうかわからないけど、シュワちゃんも、そうか。あのシュワちゃんも、そうよねえ。
いったい何度「ネイティブのように話せる能力があれば」と願ったことか。
フランス語をペラペラ話すネイティブで、嫌な奴に会ったりすると、どれだけ「お前のその舌をよこせ!」と思ったことか。(今も思う)
でもその言葉の壁が、そこにぶつかった時の痛みが教えてくれることもあったのだ。
絶対に勝てない敵にへなちょこの槍一本でもって立ち向かってく姿は、滑稽かもしれないけれども。
どうしようもない、勇気とも言ってもらえないような勇気が、私に世界への想像力を与えてくれたのだ。
落ち着いて、深く呼吸をして、大丈夫だと思う。
人間は、大丈夫だ、と思って自分の二の足で地面を感じると、更に強くなる。
その後に続いた演出プランの口頭試験も、最終日のソロも満足いく出来だった。
そして、昨日結果発表。無事に合格。
念願の国立演劇学校。
発表当日、あまりに信じられなくて最終的に何人残ったのかしらないけど、たぶん俳優科と演出科合わせて20人ちょい…?(というか、ここ最近ちゃんと寝てなくて頭がぼーとしていた)来週の月曜日にオリエンテーションがある。
今までは自分の力は、自分が楽しく生きれるようになればそれに使えばいいかなあ、と思っていたけど、でも今は、他の人にも、と思い始めてきた。自分には他の人の心を動かすことができる、と傲慢かもしれないけれど、感じるようになってきたのだ。何かを伝えよう、とは思わないけれども、他の人の心にそっと触れることが出来るなら、そうしていきたい。
なんだか、何もしてもらっていないけど「ありがとう」と言うような、そんな感覚を手にしたようだ。
やっぱり演劇という存在が大好き。その場でそこにいる人と一緒に作り上げていく空気。そこで生き生きとする世界がある。
それで、私はそれをこれから作っていくのだ。その世界を中で生きていく人にもなれるし、外からつくる人にもなれる。
どうせまた、いちいち泣くことになるんだろうけど。でも、笑ったりもしながら。
嬉しいことも、悲しいことも、ひとつひとつこうやって言葉にしてここに記していくことは続けようと思う。
きっとまだ、これから伸び続けていく道を、ただひたむきに歩いていきます。
へなちょこ槍の戦士に、神様はたまにものすごい世界を見せるのです。
これからはブリュッセルに住みます。
綺麗な街!