「愛のおわり」から始まる、6月。

5年ほど前に、日本で「愛のおわり」という作品を観た。

パスカル・ランベールというフランス人作家の作品を、日本人の俳優で上演したものだった。

 

それで、5月31日には、オリジナルの、つまりフランス人俳優が演じているバージョンをレンヌという街で観てきた。

 

何も知らないで観た2013年。大学4年生のとき。

今は、パスカル・ランベールがフランス演劇界でどんな位置づけなのか、は何となく知っていて、演じた俳優スタニスラス・ノルデーとオードリー・ボネがどれだけすごい俳優なのかも耳にしたことがある。

 

4年半前に初めてこの作品に出会ったときは、あまりの脚本の素晴らしさにボーっとして、拍手を最後までずっとしていた記憶がある。

それで、後ろの演劇界かなんかのおじさんたちが「フランスはこんなセリフばっかりの作品をつくって、これがトップなんだからどうしようもないな」と言っていたのを聞いて、激怒した。

ツイッターでも、この作品の素晴らしさに気付かない人を散見して、また激怒した。(友達に「人それぞれなんだから、別にいいでしょう」と言われた)

家に帰って、両親の前で、どれほどまでに凄かったかを目の前で演じて説明した。

 

そして、いま。2018年。

ひたすらに二人の俳優に圧倒される。曲がりなりにも演技を勉強して、いったいどういう経路を通って、このクオリティまで持って行ったのか、そういうのが5年前は分からなかったけど、今はものすごい分かる。

 

本当に本当に、いろんなことを思い出させてくれた。

5年前にもタイムトリップしたし、自分が通ってきたこの3年(特にナントでの2年)の厚みも思い知らされたし。自分の成長の具合も分かったし、同時に自分の未熟さも思い知らされたし。

 

先ほどまで、今後の仕事のために撮影をしていたのだけど、カメラマンをしてくれた人が

「すべて受け入れること。何が起ろうと、その問題にどう立ち向かうかが重要。目を背けないこと。だって、自分が目を背けよう何だろうと、起こったことは、確かに在るのだから」

と、帰り際に言ってくれた。

何故そんな話になったか分からないけれども、私のぐらぐら具合をレンズを通して見通してしまったのだろうか。

 

それで、今、こうやってブログを書いているわけだけど、

あ、そうか、そこには確かに「在る」のか、と気付いてしまったわけだ。

私が通ってきたコンセルヴァトワールでの二年も、ここに在って、私はまだまだ未熟だけど、だけどしっかり成長して、その成長は確かにここに「在る」ではないか。

自分の成長を認めるのは、怖かったけど、でもやっぱり私はちゃんと学んだし、いい道を歩んでる。だから、色々怖いんだけど、進んでいくしかない。

だって、進みたい、し。

 

なんだか当たり前のことを言いすぎなのかもしれないけれども、

この「受け入れる」ということが、少し分かってきた気がする。

そして、なぜか、頼んでないのに、そのことを話してくれる人に最近よく会う。何なんだろう。

神様か誰かからのプレゼントだろうか。

とても嬉しく受け取っています。

 

撮ってもらった写真。色々受け入れ始めた表情。

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