フランスに戻って一か月と少し。
色々なことがあった。
一つ目は、合格を目標にしていたスイスの国立演劇学校La Manufactureに落ちたこと。
二つ目は、フランスの映画監督ヤン・クーネン(Jan Kounen)の短編映画に出演したこと。
どの順番で話せばよいのか。
どのくらいのことをここに書いていいのか。
午後いっぱいを使ってパリを散策して、色々考えていた。
本当に長い間歩いていたのだけど(半日で10キロ強。やっぱりパリって小さい)
そのほとんどの間を、私は、映画の撮影での静かな興奮を思い出していて、それから現場の雰囲気を思い出していた。そして、「パリ、テキサス」のナスターシャ・キンスキーの最後の台詞と「ロミオとジュリエット」の世界で一番有名なジュリエットのモノローグを暗唱していた。
そして、セーヌ川を渡す橋の上で思ったのだ。
「なーんだ、私は演劇じゃなくて、演じることが好きなのね」
と。
多分、何度かこのブログでも書いてきたと思うけど、なんだか今回は異なった位相でそう思ったのだ。より深い層で、というか。
今まで心に沢山の人が住み着いてると思っていたけど、ちょっと違って、奥行、或いは深みが果てしないだけだった。
全部別々なのでなくて、一緒のもの。
でも、一つの中には甘いも苦いもあって、白も黒もある。
パフェのようにいくつもの層が織りなすひとつの集合体。
そういえば、パフェは、フランス語で「完璧」を意味するparfaitから来ているのだった。
そう考えると、今まで自分の心には、自分の人格には、何か大きな欠如がある、と思っていたけれどもそれは違うのかもしれないな、と思う。
誤解を恐れずに思ったことを言うと、私という存在はパフェ=parfait=完璧なのかもしれない。
私の中には、この世に生まれた時から、既にありとあらゆる感覚や感情やら存在している。
何か欠けていると感じるとしたら、それはまだ見つけていないだけ、まだ掘り下げていないだけ。
そこに既にあるから、何か外部から付け足す必要はない。
ただ、そこにあるものに気づいて、そうあることが俳優の仕事。
それを導くのが監督の仕事。
それを撮るのが、撮影監督の仕事。
それを照らすのが、照明の仕事。
その音をひろっていくのが、音響の仕事。
その世界観を具体的にしていくのが、舞台美術の仕事。
俳優に想像力を与えたり、世界観に溶け込ませるのが、衣装やメイクの仕事。
これらをすべて取りまとめるのが、助監督の仕事。
この人たちのご飯を担当するのは、調理師の仕事。
この世界をこの世に生み出したのは、脚本家の仕事。
この作り出された世界を現実の世界と折り合いをつけるのが、プロデューサーの仕事。
これが、私のみた映画の撮影現場。
もっともっと役職があるのだろうし、全てが上に書いた役割通りに動くわけではないのは十分承知だけれども、
これが、何かをつくるって事なんだな、と思った。
俳優は、その作品のほんの一部分。
だから、ひたすらにやるべきことをやるだけ。
今回の撮影と志望していた学校の不合格。
この衝突は図らずも、私にある種の自覚を与えた。
「自分が出来ることは分かってるし、現時点で何が出来ないかもわかってる。」
そう言える力。それで、いい。それで、私は十分に女優。
私は、女優。
出来る、と言ったからには、本当に出来る、ことが大事。
でも、ミスしてもいいのは、一流の人たちを見ていて分かった笑
みんな間違えていい。みんな時間を使って物事をやる権利がある。
だから、ひたすらに誠実に。