空の上で、止まらず、綴った。

書く場所がないから、スマートフォンで書く。

いまは、ヨーロッパ上空。ロシアは抜けたところ。どこだろう。

それから、機内で普段は聴かない音楽を聴いている。はっぴぃえんどの「かぜをあつめて」だ。

 


いまから、私は何をしようとしてるかというと、受かるかも分からない演劇学校を受けに行こうとしている。
これは四年前にやったことと同じだけど、あのときは、わたしはまだ22歳で、まだまだ勢いでいけた。 フランス一年目は、それこそめちゃくちゃ辛かったし、3年分くらい泣いたと思うけれども、それって大嘘で、だってそのあと続く2年、念願の演劇学校に入って、それこそまぁよくよく泣いたもの。やりたいことやれて幸せだけど、でもよく泣いたわ。

それで、フランス四年目にして、ひょいと日本に帰ってきてしまった。決まりそうな仕事があって。日本で演劇やるぞって、意気込んできたけど、でも結局だめにしたのは私で、煮え切らない私は、或いは煮え切りすぎて頭の沸いた私は、既に書いたように受かるかどうか分からない演劇学校(今までいたのよりひとつレベルが上の学校。国立の演劇学校)を受けようとしている。
いまは、26歳。周りはみんな働いていて、自立している。
私は、演劇をやって、でもまだハシにもボーにも引っかからない学生。
演劇の基礎が、俳優の基礎がほしいと思ってフランスに飛び出して、ちゃんと正面から演劇と向き合った。

それでも、わたしは、まだ何もやっていない。何も持っていない。
いつまで続ければいいのか。
どうして、わたしには、軸がないのだろう。芯がないのだろう。

私より年上のひとは、笑うだろうか。若いからね。自分もその年はね。って。
でも、私はこの間、白髪のお婆さんが「変わりたい変わりたいと、ずっと願ってた。でも最近、五歳の頃の母親の周りをウロチョロしてる私と何も変わっていないことに最近気づいた。もっと学び続けて、変わらなければ。死ぬまで変わらなければ」
と言っていたのを聞いたのだ。
私の数倍生きているこの女性が。
誰がこのひとを笑えるか。
誰も、彼も、笑えないだろう。


沢山泣いたし、悩んだし、強くなったかなと思ったら、まだまだ泣く。
朝、目が覚めると、今日もまた一日悩むのかと、とため息をつく。でも、それだって、父親と弟が出勤した1時間あとだったりする。
いつまで経っても強くならない。
どれだけ泣いたら、どれだけ悩んだら、どれだけ何をしたら、自分の思い描く強い人間になれるのか。

今は、チャットモンチーの「シャングリラ」だ。高校生の時によく聴いた。あの頃の私は何をどう考えていたのか、覚えている。

どこに向かっているのかは、分からない。ただただ、お芝居がしたい。演じたい。何かを表現したい。
人と出会う中で、感動したい。いちいち恋に落ちていたい。

ものをつくろう。ものをつくる。
演劇でなくてもいいのだ、きっと。
ものをつくらなければ。

人にジャッジされる演劇学校の受験というのが死ぬほど嫌だ。
違う、違うのだ。そんな簡単なものじゃないのだ。人が表現するというのは、もっと尊いことなのだ。
俳優をやりたいとたまたま思った人間は、声のない人たちの代わりに、叫ばねばならないのだ。

そろそろ機内の最後の食事がサーブされる。あと二時間程でパリに着く。ここでも人が生きている。

ものをつくるぞ。

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