4年ぶりのお正月を日本で迎えた。
日本の冬も久しぶり。
年末の人々の忙しなさも懐かしかった。この感じがなんとなく好きだ。
この好きな感じを4年間も逃してきたのか、と思う。
家族で集まる感じも、ご馳走を食べる感じも、私がフランスでみていたクリスマスのそれと同じ。いいな、と思っていたそれと同じ。忘れていただけで、当たり前になりすぎていて、 気付いていなかった。よくある話だが、こう、なんとも、新鮮な感覚なのだ。本人にしてみれば。
今朝、茨城の叔母の家に向かう途中で首都高を通ってきたのだけれど、うねうねとまるで生き物かのように目の前を、後ろを、そして私の上下をゆく道路、そしてその周りに立ち並ぶ中層・高層ビルの迫力に「すごいすごーい!かっこいい!」と、ひとりで外国人観光客のようにはしゃいでいた。
まるで、あたらしく生まれたみたい。
そんな感覚だ。
でも、そういえば、そもそも日本の年越しっていうのはそういうものなのかもしれない。
年末の忘年会も、今年という一年を忘れて、また新たに来年から頑張りましょうというものだし、
年を越した際に、すべてを一新するという、新たな一年は今までの一続きではなく全く新しいものなのだというこの感覚は、フランスの年越しにはない。
折しも、新たなプロジェクトを始めるために日本に戻ってきた私は、年を越して、やはり新たに生まれなおしたのかもしれない。
フランスにいるときだって、毎年年は越していたのに、この感覚はなかった。
と、いうことは、
こういう感覚って、その場で、その場にいる人によって引き起こされることなのかもしれない。
もう私個人の力ではどうしようもできないことなのかもしれない。
それって、すごい演劇的なのかも。
2018年、どんな一年になるのか。
新年あけましておめでとうございます。
写真は、首都高からみたスカイツリー