この一週間と、これからのこと。

ひょんなことから、日本に帰国して活動することになったため、日本に帰る前にヨーロッパの舞台芸術を観る旅をしてこようと思いたち、ドイツに一週間旅行してきた。

 

観てきた作品は

ピナ・バウシュ「1980」

ピーター・ブルック「バトル・フィールド」

ベルリーナ・アンサンブル「DIE ENTFÜHRRUNG EUROS」

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団コンサート

あと、昨日はパリでサイモン・ストーン「三人姉妹」

 

あ、こうみると少ないけど、なんだかとても濃い一週間だった。

何がよかったというと、作品そのものというよりも、その作品にたどり着くまでの道のり、具体的にも抽象的にも、が印象的だった。

 

まずピナの作品は、彼女が本拠地にしていたヴッパタール劇場にて随分長いこと並んでチケットを入手した末に観たのだが、チケットを手に入れるまでに時間がかかるだろうと見越した友人と私は何も知らずにヴッパタールの街に降り立った。

しかし、あまりに閑散とした駅前に「え、ここって本当にピナの劇場がある場所…?」と不安になり始める私たち。ここはきっと賑わっている…と信じた町の中心地に足を向けても、寂れたカフェやパン屋さんがだらーと商店街のように並んでいるのみ。実は、ピナの劇場がある町自体ヴッパタールの中心街から外れた場所にあり、劇場は街の中心にある、という自分のもっていた常識をひっくり返すこの事実に、慣れないドイツの寒さとともにくらくらしていた。

 

さて、運よくピナのチケットをトップで手に入れ、劇場にわくわくで足を踏み入れる。

小ぎれいな劇場にふぉーと思うもつかの間、あまりの客席数の少なさにまたもや拍子抜けする。いくつだろう、250?300?くらい?

 

ヴッパタールの街にせよ、劇場にせよ、今も昔も世界中から愛されているピナは、ピナの作品は、こんなに小さいところから生まれたの?

 

その事実に吃驚するも、3時間半の作品を終えたあとには、その気持ちもすっかり明るいものに。

こんな小さいところから生まれたんだ!

ただ、?から!に変わっただけなんだけどね。でもそのシンプルさが大事なのではないかと思う。

こんなに小さいところから、しかも最初は全然理解されずに始まった。世界中の人がどう彼女の作品を愛しているのかは知らないけれども、私にとって彼女は人間の中心を触る人。本物の人。とても単純だけど、あーこれでいいんだなーと思う。これでいい、これしかない。

 

さて、ピーター・ブルックの作品もこれと同じく、ケルンの中心地から外れた町にある劇場で行われていた。しかし今回はヴッパタールの町をさらに上回る勢いの町であった。つまり、より何もない町。ただでさえ街灯の少ないドイツ。だらだらと続く真っ暗の住宅街とキラキラに照らされたトルコ人街を30分ほど歩いて抜けた先には大きな劇場が。そこから更に1時間半待って、無事に当日券を手に入れてウキウキで劇場に入り開演を待っていると、なんと入り口からピーター・ブルック本人が入ってくるではないか。ふるふると震えて杖をついてゆっくりと階段を上る姿は、まるで能役者笑 私の席の目の前に座る92歳の本物に見とれる。貴方の存在が私のフランス演劇生活2年間を支えたのですヨ、と心の中で一生懸命伝える。演劇の神様のダメ出し?ノートをこの目で見て、書いてあった内容はこの脳裏にしっかり焼き付けてあります。宝物。

 

ベルリンの街では、ブーツをはいた足でトンデモナイ距離を歩いてへとへとになりながら、ブレヒトが作った劇場で作品をひとつ。世界トップと言われるベルリンフィルの音もこの耳に焼き付けてきた。

 

所謂トップレベルといわれるものを観てきたのだが、それを経験して今おもうのは、まあトップレベルはトップレベルで、それをあとはどう調理していくかだな、ということだ。それを目指すでもない、けなすでもない、じゃあこれを目の前に今私はどうしたらより美味しい料理が出来るのか。

その美味しい料理を、なんていうか、周りと共有できないなと思ったから私はフランスを出ることにしました。それで、日本にいる一緒に出来そうな人たちと出会ったので、日本に帰ります。

でも、ずっとずっと演劇やり続けます。周りになんと言われようと、演劇をやり続けます。それだけはブレないから、大丈夫。演劇ってなに?っていう、演劇のかたちそのものに対する疑問は消えないし、そういう点に関して言えばブレるかもしれないけれども。

 

ただ、私という空間があるとして、演劇の存在は「機」のようなものだから。(前回ブログより→ちがう次元に触れる。 - 踏み台における足踏みの軌跡。

 

12月末に帰ります。どういう料理ができるかも、ちゃんと報告していきます。