毎年、年の末に演劇科の二クラス全体で行われるプロジェクトがある。
先生に与えられたテーマをもとに、三分間の小さな作品を作る、というもの。
去年は、「鶏のオリーブ煮」がテーマだった。(去年のこの時期の詳細はこちら→
今年のお題は、というと、「ストリップショー」。
クラス中の男の子ほぼ全員の十人で、近藤瑞季バージョンのボレロをperfumeのレーザービームをお借りして、一羽の丸鶏目がけて踊りました。とだけ言ってもよく分からないな笑
みんなでそろって踊る文化がないフランス人にとって、振りを覚えて合わせるのは大変、大変!
けれど、むしろその文化がないからこそ、彼らは心から楽しく踊ってくれて、多い稽古日程にも私のへたくそな指導の仕方にも一度も文句をたれることなく、個人的に最高のストリップショーが完成。(自分で自分の作品にファン過ぎて、はけ裏でニヤニヤしてた)
今年はそのほかに、三つの作品に出演。
お題は、Pina(ヴィム・ヴェンダース監督のPina Bauschへのオマージュ作品)
Léo FéréのLe chien
そして、20世紀初期の象徴派画家エゴン・シーレ。
どれもこれも一癖ありの稽古の日々で書くことが沢山あるけれども、これからやってくるたっぷり時間のあるバカンスの時間に筆を譲ることにしよう。
まずは特筆すべき、公演で経験したことを書こうと思う。
今回、幸運にも3回もの公演の機会に恵まれたが、実はどれも一度も緊張しなかった。
吃驚するほど、リラックスした状態で舞台にいることができたのだ。
少し前だったら、「緊張しない」なんて、自分にとっては最悪の状態で、そんなの俳優失格だと思っていた。
だけど、今回の「緊張しない」はちょっと別物だった。
稽古をたくさんしたから自信がある、というわけでもなく、
舞台に立つことに慣れたから、でもない。
少し抽象的な言い方になるけれども、心を広げた状態でお客さんの前にいることができた、そんな状態だった。
この状態に至った理由に、いくつか覚えがある。
一つ目は、フランソワ・タンギとその俳優との出会い。(詳細はこちら→
私にとって、舞台上は自分の自己顕示欲をくすぐるような場所ではない、少なくとも目指すところはそこではないということが、はっきり分かったから。
二つ目は、その週の火曜日に観たドイツ人でフランスでも人気のオスターマイヤー演出の「かもめ」(チェーホフ)のおかげ。基本的に一番前の列で観ることを決めている私は、その日も最前列ど真ん中で観ていたおかげか、劇中、女優の一人から舞台上からやり取りを受けてしまった!ふつうはあまり好まない「客いじり」(この日本語好きではない…)なのに、今回は全くそういった感じでなくて、「こういう開かれたお客さんに対する愛情ってあるんだ!」というのをダイレクトに感じたから。
おそらくこの二つの経験からだろう、去年のブログにも書いてあるような「お前なんか怖くないぜ」という気持ちは一ミリもなくて、お客さんの前で、柔らかい心を広げることが出来たように思う。
そういう状態だと、落ち着いて自分のやるべきことを行い、まだまだ掘り下げていけることをその場で探っていくことができるようだ、というのも今回の発見。
しかも今回、舞台上でしばらく待っている時間があったのだけれども、その時間、まったく眠くないけれども目をつぶっていたら、少し旅立ってしまった。
ただ、寝てただけ、といういいかたもあるかもしれないけれども、
私はそれよりもこれを、瞑想状態、だと呼びたい。
寝ている状態か、起きている状態か自分でも分からなかったのだ。
将来の理想は、瞑想状態でお芝居ができることだから、今回はその一歩。
一年前の私にこれを言ったらただの怠け者だと言われそうだけども、緊張しまくっている人間には感じられない境地があったりするのは確かだ。
それから、これは前から思っていたことだけど、共演者に公演ごとに恋に落ちる感覚というのはやはり大切にしたい。リラックス状態は、舞台上での恋をさらに深くしてくれる気がする。
今、舞台に立つのがこんなに喜びで、どうしようと思う。
こんなのまだまだ第一歩だと思うと、これから知ることになるであろう新たな場所への期待にドキドキする。