暫く更新していませんでしたが、元気です。
現在は、移民を題材にした戯曲に取り組んでいて、
一年生が演出を手掛けるという企画なので、私は演出を一つと、役者でかかわる作品が一つ。
扱うのは、去年のフェスティバルトーキョーにも招聘されていた演出家・劇作家・俳優のAngélica Liddellの、Et les poissons partirent combattre les hommes(そして、魚は人間を襲いにたびだつ)という作品。
たった10分の作品だけど、沢山時間をかけて稽古しています。
発表は来週の水曜日。
ちょっと気持ちが重い。ちょっと気持ちが重い理由は、来週本番が終わってから書きます。
そんな中、学校にLaurent Poitrenauxという俳優さんが話をしにやってきました。
12日までナントのlieu uniqueという国立劇場でやっているモリエールの「守銭奴」で主人公のアルパゴンを演じていた俳優。モリエールか、げげげ、と思って行ったのに、私が目にしたのはもう、とびっきりとびっきり面白い現代劇。言葉はそのまま古典なのに、目の前で起こることは、今、現在。
何がすごいって、このローラン!
大きな手に、いい声、不思議な体の使い方に、、って言葉では表せないけれども、ため息がでるくらい良い俳優さん。観客の愛をかっさらっていました。
お芝居ではとんでもなくぶっ飛んだ人だったから、どんな人がくるのかと思ったら、意外にも落ち着いている人。
しかも、舞台上では変な身体で小さい中年男、のイメージだったのに、彼は意外にも結構大きい人!何なんだ!
たった一時間だったけど、50歳の俳優の口から出てくる言葉たちは、私たちの心を打つものばかり。
「俳優というのは、変な仕事だ。だれも君に、「ああ、君は才能があるね、いいね。俳優やりなよ、今日から君は俳優だよ」とは言わない。俳優であると決めるのは君なんだ。俳優であるということは、選択をするということだ」
フランスでは演劇学校があるから、それなりにプロとアマチュアの差がはっきりしているのかと思ったら、実はフランスでだって演劇においてはその差は曖昧。
正直、「プロ」の俳優になりたかったから、日本を離れてきたのもある私にとっては少々痛いものがある。その事実を現地にて徐々に分かり始めていたここ最近、少々残念に思っていたところ。
けれども、ローランのこの言葉に目の前が晴れた気がする。
俳優であると決めるのは、自分。
舞台上で、これをする、あれをしない、とその瞬間瞬間に決めていくのは、自分。
一人の生徒が、「本当に素晴らしい声を持ってますよね。羨ましい。持ってない人からすれば、どうすればいいんだろう、って考えてしまいます」と言ったのに対して彼は、30年近くやってるからね、とふわっと答える。
「僕だって、最初からこういう風に声が出せたわけじゃないんだ。最初からなんかないよ。日々、やりながら開拓していくんだよ。僕は、幸運なことに毎日舞台に立つ機会があるからね。毎日、毎日探しているんだ。」
この言葉を受けて、これから続いてく俳優としての人生に目眩がしそうになりながら、なんて最高なんだ、って思ってしまう。
自分はまだまだ俳優としてひよっこなんだ、と感じる。
自分の力のなさ、知識の足りなさに愕然とすることの方が多い。
ああいう風に演技するには、現在地はほど遠い。
でも、ひよっこを通ってああいうお芝居ができるようになるのだろう。と思うとわくわくする。
「風姿花伝」の中で世阿弥の言っている「年々去来の花」も、こんなところにあるのだろう。
「「年々去来」というのは、子供時代の芸風、役者として舞台に出始めの演技、脂の乗り切った三十代半ばの技量、老後の演目、といった年代ごとの、自然に身に付けた芸を、すべて今の演目として一度に身に付けているということである。そうすれば、ある場合には少年や若者の演技に見え、ある時には充実しきった達人の役者に見え、場合によってじゃ年功を積んで洗練の極致にあるような、大ベテランという印象を与えて、それぞれが同じ役者の芸とはわからないくらいに、演じるべきなのだ。これこそが、子供時代から老後までの演目をすべて、その時に身に付けているということなのである」
(竹本幹夫訳注「風姿花伝・三道」より)
と、一年前にばらばらーと意味も分からずに読んだ風姿花伝を今になってふと思い出す。今になって、響くものが沢山ある。人生分かりませんなあ。
金曜日にはナントを発ってしまうらしい。
「息子が僕に会うのを楽しみにしているからね。そうそう、これも俳優の苦しみだね」
愛する人に、他の人と同じようには一緒にいられない孤独。
自分の部屋で、一人でぶつぶつと台詞を覚えなければいけない孤独。
終わりがない、完成が絶対にない芸術をやっている孤独。
「俳優は孤独だ」
それでも、c'est trop bien ! (めっちゃいい!)を経験して、苦しいのが分かっているのに、舞台を続けることをやめられない存在を、私たち俳優は美しいと思っているのだと思う。私はそれを、美しいと思う。
「俳優が一体どんなことをしなければいけないのか、どんな思いをしなければいけないのか分かっているなら、誰も俳優になりたいなんて言わないよね。でも、僕たちはそれを知らずに初めて、虜になっちゃったんだよね。「もうやだ、もうやだ、の中に、何だこれ最高だ」って思っちゃうんだよね」