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どうやって「勝つ」のか?

火曜日にボルドーにある国立演劇学校の試験を受けてきた。

試験そのものよりも、そのほかの時間の方がてんやわんやすぎて、てんやわんやというか、身を危険にさらしたというか、一歩間違えば死んでいたのではないか、という事件に出くわし、なんだかトンデモナイ滞在だったという印象。

でも、運よく生きているしこんなことがあっても生きてるんだから、試験に全身全霊で臨めってことだよね!と、試験本番は楽しい時間を過ごすことができた。

発表は来週の7日。ドキドキ。

 

今週の週末は、イースターの祝日込みなので、3日間。長い。

そして、あと1週間もすれば、春休みが始まる。長い。

休みが多い。

 

大学時代の後悔のうちの一つに、お金なんて少しくらいなくてもいいのだから、大学の図書館をもっと使って、もっと本を読めばよかった、というものがある。本当に残念に思っている。

だから、こっちでの休みは出来る限り本を読もう、と殆ど家にこもって戯曲を読んでいる。読んでいるっていっても、一日一戯曲だから、「読み漁っている」とは言えない。

私の集中力では、読み漁る、なんて遠い夢の話。

 

ただ、こうやって家にこもって何かをするのはなかなか難しい。

外に出たって何かすることがあるわけではないのだから、どうせ家にいるのだけど、

どうしても「何かやった気」がしない。そんな「何かやった気」をいつまで経っても追い求めている自分に、呆れてしまう。成長していない。

 

戯曲を読むのは、演劇をする人間にとって必要なこと。

なので、断じて怠けているわけではないのに、どうしても、一日一戯曲しか読めない自分の力と、家にずっといる、ということで、何かやっている気分になれない。

それに対して学校にいると、何か大したことなどやっていなくても、やった気分になってしまう。

家にいて本を読んでいるときよりか、ずーっと大きな充実感が得られる。

でも、それも危険だ。なぜなら、そんな架空の充実感は稽古の生産性を大きく減らす可能性があるのだから。だらだらと稽古しているなら、家で戯曲読んでいたほうがずっと何かを得られるだろう。

しかしそんなことを考えていると、ええ、でも、私ってば何か「生産性」を求めて演劇をやっているの?とも疑問に思う。

何を求めて、私は今ここにこうしているのだろうか。と、生来からの大袈裟に物事をとらえていく思考に走る。ちょっと迷子。

 文章を書きながら、このような思考をめぐらしている。

 

ああ、でも、この作業が一生涯必要なんだろう、ということも分かっている。

戯曲を読むことも、こうやって思いを巡らしていくことも。

生産性どうだこうだの話は置いておき、

今すぐに何かに繋がらなくても、今やっていることが必ず自分の財産になることを信じてやり続けること。

小さなことを地味に地味に続けていくこと。

遠い、誰も見ていないところでやり続けること。

 

一日の始めに、時間をかけてヨガをやること。

発声練習をすること。(学校の先生に勧められて歌の個人レッスンを受け始めた。最高に楽しい)

時間を見つけては、歌を歌うこと。

ストレッチをすること。

筋トレをすること。

考えること。

 

これを日課にしていこうかな。

続けるのは難しいけれども、誰もお尻を叩いてくれないから、自分で決めてやるしかない。

 

知り合いのダンサーの言葉。

「人生において、僕たちは小さな勝利しか手にすることができない。しかし、その勝利の積み重ねのみが、ひとつの大きなゴールにたどり着かせてくれる」

 

小さな勝利がこういう毎日の小さな習慣からくるのだと思う。

私の9月から育んできたひとつひとつが、今年の受験において、ひとつの勝利に導いてくれることを祈る。

 

それからもう一つ、彼らのアドバイス。「自分に対する要求が高いのは、ひとつ、チャンスだ。フランスの俳優はだらしないひとが多いから、流されないように頑張ってね!」

ははは!