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あける、とは。

新年が明けて、4日から授業が再開した。

バカンス前半は予定があったものの、ほぼ家にこもっていた私は学校でみんなに会えて大喜び。

ビズ(挨拶のキス)も大分慣れてきた、どころか、久しぶりに会った友人たちとの「明けましておめでとう!」とともにするハグやビズは、なんとも心地いい。

 

話はややずれるが、あけましておめでとう、という言葉はとても面白い言葉だと思う。

これは、フランス語で言うBonne annéeとは少し違うものだ。明けたこと自体が目出度いのであって、この言葉と共に今年もいい年になりますように、とか、そういう意味が含まれているわけではない。

大晦日は友人の家庭に招かれたのだけど、正直、日本のお正月とは違って(少なくとも私の家のものとは違った)賑やかで、なんだか疲れてしまったのが正直なところだ。

年が変わる瞬間は、なんだかやっぱり特別で、この一瞬に何かの意識が向けられる、しかも結構な大人数で、というのは何だか素敵だなあ、と思う。

この瞬間に、私は新しい身体に変わる気がするんだ。だから、やっぱりBonne annéeよりも、あけましておめでとう、の方が好きだな。

 

この新しい身体とともに、この一週間いろんなことを感じた。

と、共にこうやって振り返ってみると、「やっぱり私の身体は変わったのかもしれない」と思う。

 

新しい身体は何を感じたか。

それは、

「ああ、ここを出ていかなければいけないな」ということ。

それは、

私はこの三か月で他の10人の仲間に支えられて、なんと柔らかなところにいたのだろうか、ということ。

それは、

ひとり舞台上にたって観客席側にいるクラスメイトの顔をみることに、恐怖どころでなく喜びを覚えている自分がいた、ということ。

それは、

あまりにもあまりにも、居心地の良すぎる場だ、ということ。

 

 

毎回外部アーティストがやってくるたびに、あなた達はなんて素晴らしいチームなんだ、と言って去っていった。

確かに、私たちの間にはそれぞれに対して期待があって、誰かを疎ましく思ったりとか、妬んだりとか、そういったものがない。

誰かが泣き出しても、それがどんな理由であれ、誰もそれを気持ち悪がらない。

何か上手くいかないことがあったら、一緒に考える。

それぞれがきちんとそれぞれに居場所を持っている。

 

私自身、こういう風に誰か一緒にいて、こういう風に演劇をするっていう経験は正直なかった。ここにきて、他の人が舞台上にいるときの意識の向け方が大きく変わった。これは、きっと本当にいいこと。

 

でも、新年早々気づいてしまった。

ああ、ここを出ていかなければいけないな、と。

もちろん、ここで2年を過ごしたら自動的に卒業することにはなるのだけども、できればもっと早く。(要するに国立演劇学校に受からねば、って話なんだけど)

私は、もっともっと、厳しい中にいなきゃいけないんだと思う。

厳しいといっても、みんなが悪口を言いあうような環境というわけではなく。

だからと言ってその厳しい中、というのをより具体的に説明できないのだけど・・・

たぶん「定住」してはいけないのかな、と思う。

フランスに、だとか、日本に、だとかではなく、もっと抽象的な意味での「定住」。

 

昨日、あるダンス作品を観ていてふと思ったことがある。

ああ、舞台に愛されている人っていうのはきっといるんだな、と。

脚がしっかり舞台に根を張っていて、しっかり立っている人。

一体これが訓練されて身につくものなのか、それとも才能からくるものなのか、は私にはまだ分からない。

ただ、単純な希望として、私は舞台に自分の両足でしっかり立っていたいし、でもその一方である場所に「定住」したくはない。軽やかに、風にゆられる一枚の布のように存在していたい。

 

ナントの街にやってきて、三か月。コンセルヴァトワールに入って、三か月。

なんだか、前に比べて随分生きやすくなった気がする。

たった三か月。

24歳、といったら学校では年上の方だけど、まだまだ若いなあ、と思う。

まだまだ若くありたい。