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私の新しい問題。

18日の発表も無事終わった。

生徒の人数分あるから、全部で20個。いつもは一緒のクラスでない人たちとも一緒に稽古できて、それも面白かった。最終的な作品は、どれもそれぞれ素敵で、大好きなものばかり。みんなの世界が少し覗けたようで、少し嬉しい。

私が演出した「鶏のオリーブ煮」は、「最高にこの世界観が好き!」ていう人や「むしろ不快感を覚えた」という人までいて、私は大満足!どの作品もそれぞれに上手くいって、成功、と言っていいと思う。

でも、私は、自分自身に生まれた違和感をやっぱり見逃せない。

数日ゆっくりして、24、25日と初めてフランス人家庭のクリスマスにお邪魔して、お腹いっぱいになったところで、ようやくこのプロジェクトのための2週間を振り返る元気が出てきたから、この違和感とやらをちょっと考えてみた。

 

ちょっと考えてみたら、この違和感から、私の大きな大きな問題が浮上してきた。

それは、ああ、またこれか、って感じだけど、それでも暫くは付き合い続けるであろう「言葉」の問題。問題は「言葉」。

 

ことの始まりは、一人芝居をする作品の稽古中に起こった。(「ナスターシャ・キンスキーになりなさい。」 - 踏み台における足踏みの軌跡。

先週言われたことに対して真逆の指示が出たり、先生の言うこととと演出の子の言うことがちょっと違ったりで少し戸惑いながらの一週間。

最終的な作品は、周囲にはよかったと言われたけど、なんていうか、自分の思い通りに行っていない感じが手に取るようにわかった。ああ、日本でやっていたときの感覚だ、と笑(日本でやっていたときに、本当に上手くいかない感じ、気持ち悪い感じがついて離れなかった)

本番、お客さんを前に、怖かったこと。

お客さんに対して「お前なんかこわくないぜ」を向けてしまう、もう別れを告げたはずの精神が演じている最中に舞い戻ってきてしまったり。

 

でも、たぶんこれらが上手くいかなかったのは、稽古中うまくいってなかったからだ。

日本語で演じる部分に関して、指示通りだと気持ち悪いから「どうせなに言ってるか分からないんだから、別の内容をしゃべっちゃえ」と思って勝手に内容変えてたりとか。

稽古中に、先生に何度も大きな声でと言われて、わかったわかった、とは言っていたものの、心のどこかで「大きな声で言えない。あの映画のナスターシャ・キンスキーをコピーしながらも、大きな声で、って無理だよ」と思っていたりとか。

そう、だいたいは反抗の精神が私の最近をうまくいかせなかった。

と、思っていた。

しかし、今は少し違う。これらの問題の本質は、これらの気持ちを伝えなかった私にあるのではないだろうかと思う。

 

少し話はずれるが、実は本番前の期間、私自身のプロジェクト「鶏のオリーブ煮」でテクニカル面が全く上手くいっていなかった。頼んだことが全然出来ていなかったりとか、明かりがダサい!と心の中で思っていたりしたこととか、とにかく舞台に上がってくるものが全く想像していたものと違っていたのだ。

さんざん文句を楽屋で言っていたら「いや、みずき、それは彼らに直接言いなよ」とクラスの子に諭される。

勿論言うつもりだったけど、彼の言葉を勇気に思い切ってしっかりと「全然ちがう」と伝えてみた。

そしたら彼らは、時間をとって直接照明や音響変化を見せてくれながら(これは頼んだ)快く直してくれた。

結果として、そのあとも何回かこーしてあーしてと頼むことがあったけど、そのたびに、彼らはきちんと応えてくれた。

もっと早く、楽屋でわーわー騒いでいないで、伝えればよかった笑

こちらが誠実に求めるから、むこうも誠実に応えてくれる。

ああ、ここでも結局物事は、人間関係なんだな、と思う。

 

私は、もっと人に伝える勇気を持たなければいけないのだろうと思う。

そして、きちんと相手に対して誠実に言葉を伝える必要があるだろう。

今のところ何らかの茶目っ気で許してもらっている部分が多いけれども、それだけではなくて、もっと直接の相手に届く言葉を言えるようにならなければいけない。

 

稽古でも、自分が難しいなとか、気持ち悪いな、と思う部分はきちんと伝えないといけなかったんだと思う。

 

ああ、そういえば、そんなことは先生に見てもらう稽古中に言われたな、と今ふと思い出す。

「きちんと、前にでて、相手に伝わるように、具体的な言葉で説明できるようになりなさい」と、言われたなあ。

あの時は、「前にでて」の意味も、「具体的な言葉」の意味も分からなかったけど、この言葉の本質は今回の問題に通じるものがある。

先生の言葉を聞きながら、目眩が起きたような感覚を覚えた私の身体は間違っていなかったのかもしれない。

 

日常会話に関しては、随分進歩したといえると思う。そのせいか、フランス語に一日中囲まれて過ごしていれば大丈夫かな、と少し油断してしまった部分がある。

 

演劇をするのに言葉はどうしたって必要だけど、こうやってみんなと過ごしているうちに言葉も習得していけるものだろう、と思っていた。そう思いはじめていた。

 

でも、演劇をするのに必要な言葉というのは、きっともっと別の言葉なんだろう。

それは、みんなと過ごしているうちに自然と習得する何か、ではなくて、意識的に学んでいかなければ手に入らないものなのでは、と今は感じる。

 

目指すべきは「前にでて、相手に伝わるように、具体的な言葉」を習得すること。

 

成績表も届いて、ああ、こうやって「成績」としてでてくるんだなあ!そうか、私は学校にいるのか!と成績がつけられることを気持ち悪がりながらも、改めて、色々な意味で自分の位置を知る。

学校でやることに無駄なことはない。無駄だと思えても、きっと私にないものを沢山与えてくれるはず。そう信じて、日々を大事に過ごしていけたらな、と思う。

新年の目標だろうか。

 

 

大切なことは、今、自分自身で分かっているもののほかに、いつも私のそばに、気づかないけれどもある。

それらを、気づかないままにしておくのは勿体ないな、と思う。

色々なものがみてみたい、と今は思う。