「ナスターシャ・キンスキーになりなさい。」

来週17日に控えたプロジェクトのために、朝から晩まで稽古しっぱなしの一週間。

それぞれのお題をもとに3分間の小作品を創作するというプロジェクト。

適当な3分ではなくて、がっつりと、見事に1つの作品として出来上がっている3分。

 

参加している作品のひとつに、一人芝居をするものがある。

お題は、「パリ、テキサス」。

知っている人も多いと思うけど、ヴィム・ヴェンダースの有名な映画。

youtubeにフルであった。

www.youtube.com

 

この中の有名なシーン、ジェインがトラビスに鏡越しに語りかけるシーンで、まさにそのジェインを演じることに。こんなに美しいナスターシャ・キンスキーを演じられるなんて!

 

実は、演出の子が私を選んだ理由は、私が日本人であることにある。

以前、私が彼女に「ヨーロッパ人みたいになりたい。鼻が高くて、目が大きくて、脚が長くて、髪がさらさらで・・・」と言ったことを彼女は思い出し、私に特殊メイクを施し、ナスターシャ・キンスキーにしよう、ということで私を採用したらしい。

 

稽古を幾度かするも、なかなか上手くいかない。そして先日、もうひとつ別のクラスを担当しているエミリーに一応の3分間をみせる。

どんな反応かと思いきや、私がなぜこの作品のために選ばれたかと知った瞬間、「いい考えがある!」と。

駆け足で色々なものを集めはじめて、私の周りに舞台美術を作り上げる。

そして、

「日本語で、あなたの演劇に対する思いを語りなさい。どうしてフランスにまでわざわざ来たのか、フランスに来たものの去年の語学留学はものすごくつらかったこととか、それを観客に話すの。そして、ある瞬間、かつら(演出の子が用意してくれた、超キッチュなブロンドかつら)を手にして、かぶる。その瞬間から、『パリ、テキサス』の中のナスターシャ・キンスキーを演じなさい。コピーするのよ」と、きらきらした瞳で言う。(本当に美しい人だ・・・Emilie Beauvais)

 

コピーする。 

つまり、彼女になりきれ、ということ。

この「なりきる」というのは、実は、俳優にとって一番避けるべき方法、リアリズムという手段をとるということである。

学校でもよく、「リアリズムは絶対に避けろ」と言われるし、だいたいみんなが嫌う演技である。

私も、そっち系の演技をみてるといてもたってもいられなくなる人。

エミリーが言うに、「リアリズムを避けるべきなのは、それをする人たちがだいたい間違った道を通って表現するからなの。正しい道筋をいきなさい。そうすれば、素晴らしいものになるから」。

そしてそうするためには、映画を観直すこと。何度も何度も観て、その筋道を理解すること。

 

日本語と英語の演技で、それが3分だから、ナスターシャ・キンスキーの部分はきっとその半分の90秒あるかないか。

そこで、一番避けたいものを入れる。

危険な香りしかしない。

でも、それができたら最高に素敵な3分間になるっていうことは、火を見るよりも明らかだ。

それを、私が避けて通る理由は何一つない。

 

私が、なぜフランスに来たか。

なぜ演劇なのか。

それは、まさにナスターシャ・キンスキーを演じるためである。

ひとつ、年の瀬にはっきりさせようではないか。

 

ちなみに、私のお題は「鶏のオリーブ煮」。二人の俳優と、一羽の鶏と大量のオリーブで美しい作品に仕上がりつつある。

 

来週の金曜日、怖いけど、楽しみ!