8月の終りから3週間続いたコンクール。その後まもなく始まった学校。
ぼーっとする間もなく、二か月強走りぬけて、ようやく11月1日から4日間の休みがあった。しかし、それも気が付けば終わろうとしている。今は日曜日の午後。
学校の授業の中でも、最近特段に楽しみにしているのが、身体表現の授業だ。
多くの演劇学校では、俳優の身体表現の授業に対してダンスや武術といったカリキュラムが組まれている。
L'INSASではどうかというと、これがどちらでもない。
コンテンポラリーダンスらしい動きも出てこなければ、柔道の力強い感じも出てこない。
この授業を担当するジョーは、色々な経歴を持つ定年直前対策のお喋りなおじさんである。お喋りすぎて、身体表現の授業だが、殆どの時間を彼の話を聞いて過ごしている気がする。しかしこの人、なんと過去にダンサーとしてかの有名な振付家モーリスベジャールとの仕事を断ったり(何故そんなことを…)、オリンピック柔道チャンピオンを複数人手掛けたトレーナーだったという。
そんな、ダンサーとしてもスポーツマンとしても一流と言える彼が
「俳優には俳優の身体訓練が必要だ」
と断言するのだ。さて、俳優に必要とされる身体訓練とは。
授業では毎回多くの発見があるのだけど、今回は身体のなかにいる蝶の話をしたいと思う。
ジョー曰く、額の眉毛の間あたりからこめかみにかけて、頭部の奥の方に蝶のように広がっている骨こそ人間の体を動かしてくれるという。
日本語では実際に蝶形骨という名前らしい。
目に見えないけど、身体の内側に確かにあるこの骨。これを意識したときに何が起こるか。
例えば、顔を傾けるのではなく、この蝶を傾けるという意識に切り替えてみる。
自分の腕でなくて、この蝶に腕の動きを預ける。
体を屈めるのではなくて、この蝶を下めがけて飛ばしてみる。
そんなことをしてみると、もうこれは個人的な感覚でしかないのだけれども、からだがシュッと纏まって、腕を動かしてるけど、からだ全体がその動きに合わせて反応しているように感じられる。
身体が生き生きしている。そんな感覚だ。
大発見のような気もするし、こんな小さなことという節もある。
でも、この骨を意識できるかどうか、というのは大きなこと。
だって、この骨は長い間自分の体の中にあったのに、まったくその存在に気づいていなかったために、27年間「無い」も同然だったのだから。
「ある」ことを選ぶ。
感覚を研ぎ澄ますことを選ぶ。
こんな小さなことだけど、返ってくる効果は大きい。
何か起こったことに対して反応するかしないかは自分次第。
どんなに詰まらないと思えることの中にも、わずかでも喜びを見つけるとするかどうかは自分次第。
それがあるかどうか、というよりも、そうあるかどうか、の方が重要なのかもしれない。自分に俳優としての才能があるかを探すよりも、自分が俳優としてこの世界に存在するかどうか。それこそが、俳優である鍵なのかも。
「大きな扉を開く鍵が大きいとは限らない。鍵はね、いつもとても些細な小さいものだ」
よく喋るジョーは、私たちがどんな動いていても、喋り続ける。
うるさいなあ動きに集中させてくれよ、と思ったりするけれども、
どんなに動いていても大事なことは聞き逃さなかったりするのだなあ、と。
気づけばもう夕方である。ブリュッセルの冬は厳しいらしい。
いきなりガクンと寒くなったので、体調管理に気を付けます。