パンと演劇を通して小世界をみた。

近所にフランス人顔負けなパン屋さんがある。

去年の夏に帰った時にフランス国旗を掲げたその小さな店舗をみかけたのだけど、なんとなく寄れずにいた。

今年になって母がそこのパンを買ってきて、食べてみると、それはもうびっくり。

フランスにだって、こんなに丁寧に作った美味しいパンは、そこら辺では食べられない。

しっかりしたフランスの伝統的なパン。

丁寧なつくりは、見た目からして明らかだし、食べればもはや疑う余地もない。美味しいのだ。

 

昨日、たまたま母とそのパン屋さんに行ったら、普段は控えめなのに時々妙に他人に踏み込むことのある母がレジカウンターのすぐ奥の厨房にいる職人さんに

「この間お話した、こちらが今フランスにいっている娘ですー!」と声をかける。すごい大胆さだ…。母は一度その職人さんと話したことがあって、その際に私の話をしたらしい。

 

「フランスのふつうのパン屋さんより美味しいですね」

と言ったら、喜んでくれた。でも、

「100人のお客さんが来たら、美味しいと思ってくれる人は5人くらいだと思いますよ」

と。

え、うそ、そんな。それはないです。こんなに美味しいのに。

いや、日本人のお客さんが好きなのはちょっと違うんですよね。

 

あ、なるほど。

ご自分の作りたいものと、日本人が好きなもののちょうどいい具合を計るのは難しいですよね、と言ったら

そう、そうなんですよ、とそれは口に出していないが、首をうんうんと縦に振っていた。

 

その会話をした瞬間に、以前購入したここのあるひとつのパンを思い出した。

そのパンは、見た目はやはり他のパン同様美しいパンで、私はその味を楽しみに包丁を入れたのだが、包丁を入れた瞬間つぶれていくパンに拍子抜けしたのだ。食べてみるとやはり、外はそれなりに硬いのだが、中はもっちりとして、水分が多く柔かなのだ。

別のパンを食べて、おおこれはそんじょそこらのフランスのパン屋で食べるパンよりいけるぞ、と思っていたのでそのやわらかさに吃驚したのと同時に「なあんだ、こんなもんか」と少しがっかりしたのを思い出した。

 

その話をパン屋さんにした上に、仕舞には「本当はもっと固く焼きたいのですよね。」と思わず言ってしまい、そう言いながら、いや生意気だろうと思ったのだけど、もうそれはそれは、染み入るように?首を縦に振っていた。

 

この夏、自分は演劇をする人間としてどうやって社会に出ていけばいいかを考えていた。

「自分がやりたいこと」と「売れるもの」の間には大なり小なり開きがある。

もっと自分勝手な言い方をすると「本当に面白いもの」と「お金がまわってくるもの(投資されるもの)」が重なることは、非常に稀だ。

私は演劇をやってお金を稼いで生きていきたいけれども、そのためには社会に、或いはある一定数の人に支持されなければいけない。そして、重要なのはそこに経済を生み出さなければいけないということだ。今の社会では、プロである、とはそういうことだ。その活動をして経済を生み出しているかどうか。厳密に言えばどうだか、一度も働いたことのない私には分からないけれども、おそらく大体のところはそんな感じだ。ムカつくけど。

 

夏の間中、ああ芸術を生業にするのって難しい、と嘆いていたけれども

それはどうやら職人の世界でもそうであるらしい。

そして、それをサラリーマンの友人に話したら、一般企業でも同じことだそうだ。

 

パン屋さんとの話は、まだ広がる。

どうやら、その職人さんが以前勤めていたパン屋さんにフランスのパン職人が研修に来たという。そこで、最初はやはり、彼らはパンの本場の国の人なので「ま、俺たちの方が上だし」という態度をとっているらしい。しかし、結局は日本の職人に教えを乞うて来たという。技術も、つくる味も、そこで働く日本人職人のものの方が上だからだ。

 

この記事の最初に書いた通り、現在フランスの普通のパン屋で食べるパンに美味しいものはあまりない。小麦は精製されまくって栄養なんてまるでないし、外はカリっと中はふんわり焼くために高熱の窯で一気に焼き上げる。しかしそうやってできたパンは実は十分に火の通っていない半生のパンなのである。

さらに、研修にやってきたフランス人職人は、日本のパン屋で売り出すパンの種類の豊富さに驚くという。日本では、様々なパンを焼かないと経営を回せない。対してフランスでは、バゲットさえ焼いていればなんとかなる。

 

自分の焼きたいパンを焼く。それも、伝統的で、本場フランス人もびっくりなパン。でも、そればかりでは売れない。だって、ここは日本で、日本人は柔らかいパンの方が好みだから。そのちょうどいいところを見つけてそれでお店を回している。

うちのバゲットは日本人には硬すぎるんですよ、とお勧めされて、まだ一度も食べたことのないそこのバゲットを購入した。確かに、皮がしっかりと硬いバゲットだった。美味しかった。

日本人の好みに合わせながら、いろいろな種類のパンを作り(といってもそんなに多いわけではない。日によって種類も変わる。私はそれが大好きだ)、そのなかできっと「ここだけは譲れない」を置く。

 

私がやっていくべきもここにあるのか。

自分のやりたいことと、人に求められることのあいだを縫って、どうにかふたつを繋げていく。

それはどうだか分からないけれども、まずは、

演劇を、芸術という、妙に神聖なものの器にのっけて、それの社会でのあり方、などともったいぶって考える必要のないことは、わかった。

演劇は芸術で神聖なものだけど、それはこの世に存在するあらゆるものと似たような悩みを持っている。

職人と芸術家はやっぱり違うけれども、似ているところだってあるのだ。

 

やはり、「アーティストとして」考えていく必要なんてないと思う。

普通の、この世界に生きるいち人間として、自分は自分のやるべきことにどう向き合っていくか、ということなのだろう。

 

こんな単純な結論で、しかも実はパン屋さんとの会話は5分にも満たなかったのだけど、嬉しくて嬉しくて、また一年頑張れるぞ、と励まされた日曜日でした。

さて、日本滞在もあと少しです。大好きな日本の秋を後にするのは寂しい。