不思議な一日。

センスがある、とは、自分を超える何か、まったく新しいものに出会ったときに立ち止まれるかどうかだ。

 

と、大学生時代に講義で聞いた言葉を思い出した。

そういう演劇を見たからだ。

 

よく分からないまま企画され、ナントにある建築学校の舞台美術科の学生と私たちでルマンという場所まで謎の合同遠足に行ってきた。

主な目的は、フランソワ・タンギ(François Tanguy)という演出家の作品「Soubresaut」をみて、彼とのディスカッションだったけれども、誰一人としてその日のスケジュールを把握しないままミニバスに揺られてルマンへ。

変な一日はそうして始まった。

 

と、ここで実はミニバスに乗る前から変だったことを思い出した。

集合の際に、建築学校の先生から

「今日、君たちがみる作品はいわゆる演劇ではありません。テクストとか、そういうところから遠く離れた作品だから、心しておくように。ちなみに、フランソワ・タンギが今日どういった状態なのか分かりません」

と言われていたのだ。

それを言われた直後は、そんな風に言わなくても、別にどんな演劇もそれなりに受け止める懐の広さはあるさ、と鼻で笑っていた。

 

でも、そういわれたのにはそれなりの理由があった。

だって、正直、「ナニコレ?」っていうものを観たからだ。

ちょっと次元が違う、ナニコレ感。

いうなれば、悪夢の連続?この一週間の疲れも相まって途中で眠りこけたけど、起きてもずっと悪夢が続いて、本当に「ナニコレ?」って感じだった。

ナニコレ、演劇?

 

終わって、周りの人は「ちょうつまんなかった」とか「古臭い演劇」とかバンバンに悪口を言っていたけど、私は自分の見たものを消化できないまま、「超つまんなくはなかったよー」などと軽く反抗。

 

そんな中、フランソワ・タンギ登場。

普通のおじさんのようだけど、情緒不安定な感じとアルコール中毒?みたいな言動に、少し空気がゆがむ感じがする。ちょっと、普通だけど、普通じゃない感じ。

みんな変なものを観たから何も言えなくなっていたけれども、思い空気を切るようにクラスの男の子が出演していた俳優に質問を投げかける。

「俳優として、この作品にかかわる喜びは何なんですか?僕にはあなたち一人一人の人間性が垣間見られなかった」

 

それで、返ってきたのがこれ。

「あなたの言う喜びとか人間性って何?」

 

わ、と思った。だって、この返答は全然攻撃的じゃなく返ってきたのだ。

人間性、ってなんだ?舞台上での喜びって、私は感じるけれど、それが他者も同じものを感じていると何故いえる?

 

そこからそれこそ空に浮かぶ雲を掴むような調子でフランソワ・タンギが話し始める。あまりにあっちこっちに話が飛んでいくものだから、ついていくのが大変だったけれども、彼の言いたいこと、は何回も繰り返されたこの言葉の中にある気がする。

「ああー今日は曇りだ。でも、曇りだから悪い天気なのか?太陽が出てるからいい天気だといえるのか?」

 

今いる場所を疑え。

ずっとそれだけをいい続けていたお芝居だったのかもしれない。

だけど、正直まだ全然わからない。

分からな過ぎて、普段だったら絶対にしない「みんなの前で質問」をやってしまった。

言葉が口をついて出た。そんな感じ。

「これって演劇なんですか?私は面白いと思ったけど、この作品を嫌う人がいるのも理解できる。なんで観客に対してもっと開かれたものにしないのですか?」

失礼ともいえる質問をバンバン投げかけてしまった。失礼だったけど、でも、それだけこの作品が私に対して何かしら働きかけてしまったようだった。

 

全体での質問の時間が終わって、身体が熱をもって一人でカッカしているのにも耐えられず、出演していた女優さんに話しかけた。

「こういうお芝居をして怖くないですか?舞台に立つのは怖くないのですか?観客から批判されたりするのは?」

そういう私に彼女はこう答えた。

「私にとって、演劇は自尊心をくすぐる場所ではないの。そういうところで演劇を一度もやったことはない。演劇は、私がなぜ生きているか、この世界はどうなっているのか、私とはなんなのか、を考えさせてくれる場所。だから、全然怖くない。私にとって、この作品が私の人間性そのもの。」

 

この人たちは、まったく次元の違う場所で演劇をやっているのだ、と思った。

演劇は彼らにとって、もっと神聖なものなのだ。

少し恥ずかしいと思った。彼らのような演劇がやりたいとは思わないけれども、演劇に神聖さを感じる人間としては、世の中に溢れているものより、この人たち側に立っていたいのだ。私は、この人たちみたいになれないけれども、この人たち側に寄り添っていたいのだ。

 

ポーランドの演出家で今は既に亡くなってしまっているタデウシュ・カントールという演出家がいる。彼の代表作「死の教室」を学生時代にDVDで観た時の感覚は、今回の作品を観た感覚とそっくりだ。

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その女優さんによれば、彼の死んでしまった今、それでもなおカントールと仕事をしたい俳優は、フランソワ・タンギのもとへ行け、と言われているらしい。

 

繰り返しだが、彼と同じことをしたいわけではない。

けれども、あの悪夢のような時間のなか、ひとつ終わりと始まりがあってひとつ完結した何かができたのは、一本ふといふとい芯が通っていたからだ。観客に一切媚びずに、己の道を行く、何があっても。という芯。

あ、この強さだ、と思った。

この強さがきっと私を助けてくれる。

この強さがほしい、と思った。

 

ちょっとやりたいことが見えてきた気がする。

 

踊りたい。

 

すごい作品っていうのは、私を一ミリくらい動かす力を持っている。